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片岡と雪丸

雪丸

片岡城のある片岡は古い地名で飛鳥時代には名前が登場します。

日本書紀に片岡山伝説が出てきます。聖徳太子が片岡に行った時に、飢えた人が道に寝ていたので、聖徳太子は食べ物を与え、自分の衣服を脱いでその人を覆い「安らかに寝ていなさい」と語ります。ところが翌日には死んでしまい、聖徳太子は埋葬を命じます。数日後、聖徳太子は埋葬した人は聖(ひじり)に違いないと語り、墓を見に行かせたところ遺体はなく衣服がたたんでありました。周りの人は「聖(ひじり)は聖を知るというのは、真実だったのだ」と語って、ますます聖徳太子を畏敬したという、なかなか不思議な話です。

聖徳太子が飼っていたペットまで不思議でして、それが雪丸という犬。王寺町の公式マスコットキャラクターになっています。この雪丸には、人間と話をしたり、お経を唱えたりすることができたという話が残っています。主人も不思議なら飼犬まで不思議ですねえ。

教科書に厩戸王(聖徳太子)と紹介されるようになり話題となった聖徳太子ですが、実在しなかったという説から蘇我馬子の長男である蘇我善徳を聖徳太子とする説まであります。

大和片岡城

片岡城

JR王寺駅から和歌山線に乗り換えて一駅目が畠田駅。駅を降りて丘を登ると片岡城があります。中世の城では珍しく案内板まであります。堀切などが見事に残っています。

珍しく誰が築城したかもわかっていて片岡国春という人物。1550年に築いたようです。片岡氏は鎌倉時代から続く武士団で、太平記に大塔宮護良親王に付き従う九名の中に、赤松則佑とともに片岡八郎の名がでており、片岡氏の一人とみられています。

大和は筒井党と越智党との抗争のなどがあり、最終的に片岡氏は筒井方についていましたが、松永久秀に片岡谷を攻められ落城しています。

松永久秀の配下となった片岡城は大改修され、現在の遺構はこの時のもののようです。松永久秀が信貴山城に立て籠もり織田信長に反旗を翻しましたが、支城の片岡城は明智光秀勢の攻撃を受けて落城します。

太陽の道 謎の北緯34度32分

斎宮

■秋分の日 二上山の真ん中に夕日が沈む

2017年は9月23日(土)が秋分の日となります。秋分の日、山の辺の道にある檜原神社境内には毎年、多くの人が集まり西の空を眺めます。真西には卑弥呼の墓という説もsる箸墓古墳があります。さらに真西にある大阪との県境にある二上山の雄岳、雌岳のちょうど真ん中にある竹ノ内峠に夕日が沈む光景を見ることができます。
※春分の日にも見ることができます。

■太陽の道とは
檜原神社は元伊勢と呼ばれ、豊鍬入姫命がここから天照大神を祀るところを探し、最終的に伊勢神宮へ遷座することとなりました。豊鍬入姫命が初代の斎王となりますが、この斎王が暮らしたのが斎宮です。この檜原神社から真東に行ったところにあります。また檜原神社をずっと西に行くと淡路島にいたり、ここにあるのが伊勢の森です。元伊勢の東と西にまっすぐ行ったところに伊勢があります。

この直線が北緯34度32分線で太陽の道と呼ばれ、一直線上に多数の神社や古墳、遺跡が並びます。1980年というと生まれていない人も多いと思いますが、NHKで「知られざる古代―謎の北緯34度32分をゆく」という番組が放映されブームを起こしました。ディレクターは水谷慶一(親戚じゃないです)で、海音寺潮五郎や司馬遼太郎などそうそうたるメンバーが出演していた「日本史探訪」という番組を作ったディレクターです。あの頃から歴史好きだったんだあ。(笑)

■太陽の道を歩く
実際は北緯34度32分に正確に並ぶわけではなく少しずれたりはするんですが、一直線にちかいのは驚嘆ですね。

私も若い頃、太陽の道を踏破してやろうと昔の海岸沿いにあった大鳥神社からスタート。真東へ進み行基の生家だった家原寺から萩原天神を超えて、さらに東へ進みます。ここらあたりから東へ進む道はなくなり、住宅街に迷い込み、さまよいながら、なんとか喜志駅までたどりついてギブアップしたことを覚えています。

近鉄大阪線が太陽の道に近いところを通っていて車窓から楽しめます。おすすめは長谷寺と榛原駅を出て右手に見える天満神社で、この2つとも太陽の道沿いにあります。

BLAST2002 第50回記念研究会

BLAST2002

2002年、大阪で中小企業診断士の3次実習を行ったメンバーを中心に組織した研究会がBLAST2002。参加資格は新制度での合格者というだけで入会金も会費もなく、年3回ほど研究会を開催しています。

設立以来15年が経過し、昨日は記念すべき50回目の記念研究会。参加申込が多く、37名入るセミナー室よりも多い申込で立見が出る予定でした。ところが台風18号が大阪を直撃しそうとなり、帰りの交通機関が危惧されるということで30名弱に減少。ゆったり座れました。

メインコンテンツは
『タイトル未定 M&Aなどいろいろ』田辺さん
『京都100年企業に学ぶ企業継続の3つの秘訣』林さん
『プリキュア14年を振り返る』玉島さん
で、あいかわらず個性的な発表ばかりでした。

Iot、ビッグデータ、AIはどう関連するのか?

最近、新聞などを見ると”コールセンターにAIを導入して顧客対応”、”タクシーの需要予測をAIで行って売上アップ”、”トイレの空き状況をIotでスマホに知らせる”など、連日のように報道されています。

ですが「Iotって何?」という質問もよくあり、「その内実は分からない」という人も多そうです。Iot・ビッグデータ・人工知能(AI)がどう関連するのか考えてみましょう。はたして、ニコラス・ケイジが映画に出るとプールで人が死ぬのでしょうか?

All About「企業のIT活用」最新ガイド記事です。
→ Iot、ビッグデータ、AIはどう関連するのか?

軽子坂

鮮魚列車

情報図書館RUKITの入っていた軽子坂MNビルの軽子坂って軽籠(かるこ)に由来しているんですね。飯田濠には神楽河岸があって船から陸揚げしたそうで、 船荷を軽籠に入れて運搬する人が住んでいたことから名付けられたそうです。

揚場町(あげばちょう)という名前も残っていて荷を揚げることからきているそうです。軽籠は縄で編んだモッコのことですが、早朝に近鉄・鶴橋駅に着くと竹で編んだ大きな籠を持った人がドヤドヤと降りていきます。魚などを仕入れに小売商や飲食店で鶴橋駅周辺の卸売市場へ行くのでしょう。

そうそう先日、久しぶりに名張駅で大阪から伊勢方面へ向かう3両編成の鮮魚列車を見ましたが、乗っているのは一人だけでした。全国を走っていた行商列車も今や近鉄だけになってしまいました。ドライバー不足などでトラックから電車へのモーダルシフトが行われていますが行商という形態では難しいですかねえ。

情報図書館RUKIT

気になって「インターネット情報収集術」(秀和システム 1997)で紹介した情報図書館RUKITについて調べると1988年10月にオープンし、2001年3月に閉館したようです。”本がない図書館”がコンセプトでオンライン商用データベースとCD-ROMを使って情報提供していました。商用データベースもインターネットで検索できるようになったので、やはり時代ですね。RUKITではサーチャー(検索の専門家)が助けてくれました。

■サーチャ試験
そうそう昔、サーチャー試験を受けていて1次は筆記が通ったのですが2次の面接で落とされてしまいました。わざわざ東京まで行ったのに!もっともインターネットの前身となったJUNETの情報収集で答えていたので、インターネット以前の時代では面接官もチンプンカンプンだったでしょうね。そら落ちるはずです。というわけでサーチャー2級はもっています。資格欄に書いたことはないんですが。(笑)

■軽子坂MNビル
RUKITは飯田橋駅近くの軽子坂MNビルにありました。

軽子坂MNビルってTKC東京本社があるところですね。そういや5年ほど前にTKCが雑誌「戦略経営者」を発行していて、特集記事の取材でTKC東京本社に行ったことがあります。軽子坂MNビルへ行った時はRUKITが入っていたビルだとは気がつかなかったなあ。

ネットで探すとTKCの特集記事が残っていました。こんな簡単に情報検索できる時代になったのでRUKITも役目を終えるはずです。

今こそクラウド【オープニングインタビュー】

→ クラウドの魅力は”スモールスタート”にあり 

大宅壮一文庫

国会図書館

探検バクモン(NHK)で雑誌専門図書館「大宅壮一文庫」訪問記を放映していました。

”大宅壮一文庫そのものを知らない人も多い”というデヴィ夫人の発言にビックリ!国会図書館にない本を探すなら大宅壮一文庫というのが定番だったんですが時代は変わったんですね。

国会図書館には納本制度があり、国内で発行されたすべての出版物を、国立国会図書館に納入することが義務づけられています。実際に検索すると私の著者も3冊、納本されていました。

昔、月刊誌、週刊誌などは国会図書館に納められず消えていくだけ、それを集めて索引もつけて保管したのが大宅壮一文庫です。立花隆がせっせと大宅壮一文庫に通い、田中角栄の金権政治を暴いた「田中角栄研究」を上梓したことでも有名です。

国会図書館に納本されていた「インターネット情報収集術」(秀和システム 1997)を久しぶりに書棚から出すと、大宅壮一文庫は出てきませんが、情報図書館RUKITについて書いていました。RUKITは図書館と言いながら本はなく、専門知識がない一般人がサーチャに教えてもらいながら各種データベースを検索できる便利な図書館でした。今はもうなくなったようですね。久しぶりに本を読み返すとなかなか面白いことが書いてあります。

明応地震で壊滅した安濃津

安濃津

津は伊勢平氏発祥の地で平清盛のお父さんである平忠盛が生まれたところです。津から京都へ出て平家の一時代を築きます。津はまた良港としても有名でした。平家物語には、平清盛が安濃津から熊野参詣した話が出てきますが、大きな出世魚の鱸が船に飛び込んできたと書かれています。

安濃津は良港でしたが室町時代に発生した明応地震で壊滅しました。井伊直虎で盛り上がっている浜名湖も淡水だったのが、この時の津波によって湖と海がつながってしまいました。

安濃津は良港で街道が通っていましたので、安濃津を見下ろす山沿いに城が築かれました。それが垂水城、小森城、小森上野城です。小森城、小森上野城は住宅地になってしまい、城山という地名だけが残っています。垂水城は最近まで残っていましたが、マルヤス南が丘店の建設で破壊されてしまいました。

この垂水城攻めで使われたのか、前方後円墳を利用した池ノ谷砦だけが、かろうじて残っています。

昔、8インチのフロッピーで扇げた

フロッピー

最近、フロッピーディスクドライブ(FDD)が搭載されたパソコンを見なくなりましたが、名残は残っています。

ウィンドウズのマイコンピュータはCドライブから始まっていますが昔はAドライブ、Bドライブという2台のフロッピーディスクドライブが付いていました。スティーブ・ジョブズがアップルに復帰し発売したのがアップル復活のきっかけとなったiMac。斬新なデザインと共に衝撃を与えたのがフロッピーディスクドライブをなくしたことです。代わりに大容量の光ディスクドライブが搭載されます。

今ではパソコンからフロッピが消え、Aドライブ、Bドライブは欠番になっています。パソコンショップの店頭でもフロッピーを見かけることがなくなりました。汎用機時代によく使われていたのが8インチのフロッピーディスクです。ウチワのように大きく実際、夏によくフロッピーディスクで扇いでいました。やがて少しコンパクトな5インチが登場し、扇ぐのが無理になります。

「Aドライブ、Bドライブはどこへ消えた」、「ヤッホーという検索サイトがあった」、「夢のテレホーダイが登場」など91話が盛りだくさんです!

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