カテゴリー別アーカイブ: 三重の話題

高田本山

高田本山

浄土真宗といえば、お西さん(西本願寺)、お東さん(東本願寺)という言葉をよく聞きます。

本願寺は信長と10年間戦い続けた後、内部のお家騒動と秀吉、家康によって現在の形になりました。浄土真宗はこの2つだけではなく全部で十派あり、その中でも大きいのが津の一身田にある高田派(高田本山)です。全国に600以上ある真宗高田派の総本山で、もともとは下野国高田にありましたが戦国時代に津が中心となりました。高田本山は親鸞の真筆文書が多く残されていることでも有名です。この高田本山の御影堂と如来堂の2棟が去年、国宝になっています。

寺内町なので寺や町を堀で囲んでおり、今も一部が残っています。私の出身校がこの高田本山が運営する学校でして、毎月、本山参拝という行事があり1限目がつぶれるのを楽しみにしていました(笑)。文化祭では各クラスで仮装をして一身田の町中を練り歩くという行事があり、サンダーバードなど6年間、力をいれて力作を作っておりました。

神戸神館神明社

神戸神館神明社

日本各地に神戸という地名があります。神社の祭祀を維持するにはお金がかかります。そこで神社に民戸を割り当て、税金を神社のために使う仕組みにしました。これが神戸です。

JR徳和駅(松阪から1駅目)近くに神戸神館神明社があります。一帯に伊勢神宮へ供祭料を貢納する神戸があり、収納するための神館があった場所になります。周囲を堀が巡っていて城郭にようになっています。

倭姫命が天照大神の御杖代として大和から伊賀、近江、美濃、尾張を巡り、伊勢の国に入り、最終的に伊勢神宮を創建しますが、伊勢の国のなかでもいろいろと巡っていました。飯野高宮で4年間、天照大神をお祀りしたとあり、この飯野高宮が神戸神館神明社ではないかと言われています。飯高の県造(あがたのみやつこ)であった乙加豆知(おとかづち)が倭姫命に神田と神戸を進呈し飯野高宮を造営したとあります。

第11代、垂仁天皇の時代となりますので。日本武尊などより前の時代です。垂仁天皇陵は近鉄・西大寺駅から1駅目の尼ヶ辻駅のすぐ隣に見えます。神戸神館神明社が祀っているの天照大神、豊受大神、倭姫命、乙加豆知命で、内宮、外宮へ行かなくても一カ所ですみます。

姓や氏長者って何なの?

斎藤さんの故郷 斎宮

京都府の南にある井出町で有名なのは橘諸兄の旧跡。山城・井出城はマニアには有名ですが、一般的にマイナーな存在です。

そうそう橘諸兄、日本史で習いましたね!

■本貫って何?
姓で有名なのは源平藤橘です。その橘氏の初代氏長者(橘氏の筆頭)が橘諸兄になります。武家に足利氏、新田氏、多田氏という名前がありますが、みな、姓は源氏。誰もが源だと呼ぶ方も大変です。そこでつけたのが名字(苗字)。

下野国にあった足利荘の出身だったので土地の名前をつけて足利氏と名乗ります。名字(苗字)の由来となった土地を本貫と呼びます。ですので多田氏の本貫は摂津国の多田で、姓は源です。

■斎藤さんの故郷 斎宮
藤原氏も同様で伊勢国の藤原なんで伊藤となります。こっちは国レベルなんで、けっこうアバウトですね。伊勢の斎宮頭だった藤原叙用(のぶもち)に由来するのが斎藤(斎宮頭の藤原)です。

近鉄で普通しか止まらない斎宮駅近くに「全国の斎藤さんの故郷 斎宮」とでっかい看板を出せば、伊勢神宮へ行く途中の斎藤さんが絶対に気になって地域活性化になるんですが、明和町の人は、動きませんね。和歌山の藤白神社は鈴木さんの故郷として全国から集客しているのにもったいない!

■豊臣秀吉 あんたはえらい!
源平藤橘に新しい姓が増えたことがあります。それが豊臣。もともと秀吉は征夷大将軍を狙っていて信長に追放されていた足利義昭(源氏の氏長者)に頼みましたが断られます。

方向転換し、源氏ではなく藤原(近衛)となり関白に就任します。ところが天下人となっても藤原の氏長者には頭があがらないことになります。そこで朝廷から豊臣という新しい姓をもらい、自分が氏長者になってしまいました。よう、こんなことを考えつきますなあ。

大門商店街

大門商店街

津の中心市街地にあるのが大門商店街。日本三大観音のひとつと言われている津観音の門前にある商店街で、昔の伊勢街道が通っています。仁王門の前なので大門商店街といいます。関ケ原の戦いの前哨戦である安濃津の戦いでは、こごが激戦の地となりました。

先日から大門商店街を覆っていたアーケードの撤去作業がはじまっています。私が子供の時は映画館もあって賑わった大門商店街ですが、多くの商店街と同様に空き店舗が増えています。

ほとんどの商店街は高度化資金問題というものがあります。商店街では振興組合を作っていてアーケードなど皆が共通で使う施設などを整備しています。当然、タダでは作れませんので、どこからか借りてきなければなりません。これが高度化資金という低利融資です。

■高度化資金の返済が大変
融資なので借りたら返さないといけません。右肩上がりの時代は問題なかったのですが、商店街への集客が減ってくると中には商売をやめ別に売ってしまう事業者や、場合によっては夜逃げもあります。

30社で振興組合を組織していても10社減ると、借金返済を残った20社で払わざるをえません。新しく店舗を買った事業者に請求できればよいのですが、売る方は早く売りたいので高度化資金の話はしていません。買った側はそんな話は聞いていないになります。また、全国チェーンの居酒屋などが買うと店長で決裁できず本部に連絡しても、のらりくらりで支払わないところがあります。地元出身の店長は板挟みで苦労することになります。

アーケードの撤去を眺めながら、そんなことを思っておりました。

2つある大市神社

大市神社

実家のすぐ近くにあるのが津市岩田の大市神社。小さな頃はお神輿を担いだ思い出もあります。

岩田の大市神社のずっと西側にある安濃にも大市神社があります。岩田の大市神社は郷社ですが安濃の大市神社は式内社になっています。昔、安濃の大市神社にあった大松が洪水で流れ、下流の岩田川で拾い上げられたことから、この松が縁で岩田の大市神社ができたという話があります。神社が流れて松に引っかかったという話もあります。岩田の大市神社は江戸時代の古地図にも載っていて、現在と同じ場所に川松社という名前でありました。川で拾った松という意味ですかねえ。

大市神社の主祭神はオオイチヒメノミコト(大市比売命)ですが、この大市という名前はもともと大和朝廷発祥の地である巻向にあったようです。伽耶出身の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)で敦賀(つるが)の語源となった人がいます。日本書紀や古事記にも登場する、超有名人物です。このツヌガアラシトの後継が「新撰姓氏録」に載っていて、大市首が後継です。ですので大市氏は本来、巻向あたりにいたようですが、この大市氏の一部かどうか分かりませんが、なんで安濃に来たのかは分かりません。

明応地震で壊滅した安濃津

安濃津

津は伊勢平氏発祥の地で平清盛のお父さんである平忠盛が生まれたところです。津から京都へ出て平家の一時代を築きます。津はまた良港としても有名でした。平家物語には、平清盛が安濃津から熊野参詣した話が出てきますが、大きな出世魚の鱸が船に飛び込んできたと書かれています。

安濃津は良港でしたが室町時代に発生した明応地震で壊滅しました。井伊直虎で盛り上がっている浜名湖も淡水だったのが、この時の津波によって湖と海がつながってしまいました。

安濃津は良港で街道が通っていましたので、安濃津を見下ろす山沿いに城が築かれました。それが垂水城、小森城、小森上野城です。小森城、小森上野城は住宅地になってしまい、城山という地名だけが残っています。垂水城は最近まで残っていましたが、マルヤス南が丘店の建設で破壊されてしまいました。

この垂水城攻めで使われたのか、前方後円墳を利用した池ノ谷砦だけが、かろうじて残っています。

御城番屋敷(松坂)

御城番屋敷

松坂城に建物は残っていませんが、搦手には御城番屋敷が江戸時代のまま残っていて、現在も人が住んでいます。松坂城は蒲生氏郷が築きましたが、最終的には紀州藩が支配していました。ここを舞台に起きたのが紀州藩田辺詰与力騒動です。

■辞職して浪人に
発端は徳川頼宣が紀州に赴任した時、徳川家康に仕えた横須賀党という武士団が徳川頼宣につけられて紀伊に赴任しました。赴任場所は紀伊田辺で、田辺詰与力となり田辺城主である安藤家から扶持をもらうことになります。

横須賀党の面々は出向扱いで、紀州藩直属の直臣だと思っていましたが、扶持を出している安藤家は自らの家臣と思っています。これが200年にわたる諍いとなります。幕末に安藤家がいよいよ締め付けしてきたので、与力衆20名は集団で辞職し、浪人してしまいます。

■明治維新ですべてチャラ
一橋慶喜を巻き込むなど、紀州藩への復帰運動を行い、6年かかりましたが紀州藩直臣となり松坂の御城番になることができました。そして住んだのが新しく建てられた御城番屋敷です。職場復帰できたので、これで万々歳なんですが、しばらくして起きたのが明治維新。今度は士族全体が失職になってしまいました。士族授産で得た資産を元手に合資会社苗秀社を作り、明治の荒波を乗り切っていきます。現在も苗秀社は存続しています。

名張城

名張

名張商工会議所で出張相談。

商工会議所へ行く途中にあるのが藤堂名張屋敷。藤堂家の前に名張、伊賀をおさめていた筒井氏時代には名張城がありました。けっこうな高台になります。

名張は飛鳥から東国に向かう途中にあり、古代から重要な土地でした。万葉集には「わが背子は何処(いづく)行くらむ奥(おき)つもの隠(なばり)の山を今日か越ゆらむ」と歌われ、名張の枕詞が「オキツモ」です。

壬申の乱では吉野を脱出して東国に向かう大海人皇子が名張を通っています。ここで名張の駅家を焼いています。また東大寺の荘園だった黒田荘が名張にあり、東大寺に対抗していた黒田悪党が東大寺文章に出てきます。

IT導入補助金セミナー(AMIC)

IT導入補助金セミナー

塩浜(四日市)にあるAMIC(高度部材イノベーションセンター)でIT導入補助金セミナーを開催。補助金の説明をした後、支援事業者(ITベンダー)4社&飛入り1社にITツールや会社概要を説明してもらいました。

セミナーは午後からでしたので昼食へ。AMIC周辺は陸の孤島で食堂がほとんどありません。いつもの港屋食堂へ行ったら模様替えしており、どうも食堂を辞めてラーメン屋さんに貸したようで「きみちゃんらーめん」というのが出来ていました。ラーメン+ミニチャーシュ丼のランチセットを食べてきましたが、なかなかいけます。

桑名商工会議所・会員交流会

ゆめはまちゃん

昨夜は桑名商工会議所の会員交流会。

第1部で10社のPRがあり、PRが終わってからのコメントを頼まれていたので出席しました。コメンテーターは4名でしたが、うち1名は自身もPRするという面白い構成になっていました。さすがに自分でPRして、コメントするわけにはいきませんので、そのコメントはこちらにまわってきました。

なかなか華やかなイベントで、ウチも東大阪商工会議所会員なんですが、こんな交流会をやってくれないかなあ。第2部は会場後ろに20社ほどの展示ブースが設けられていて、展示ブースの見学会。

第3部は交流会ですが、乾杯前に、津軽三味線の生演奏。杉山大裕という23歳の奏者で、なかなかのイケメン。競技会でも優勝しており、優勝した曲の演奏もありました。桑名のユルキャラ「ゆめはまちゃん」によるPPAPもありました。

さすがに桑名から帰る間に、酔いはすっかり醒めてしまいます。