カテゴリー別アーカイブ: 三重の話題

土田御前のお墓(四天王寺)

土田御前

”津に信長のお母さんの墓があるの”という声があったので、三重県産業支援センターすぐ横の四天王寺に行ってきました。津藩・藤堂家の菩提寺です。ここに土田御前(信長のお母さん)の墓があります。土田御前の子供は信長、信行、秀孝、信包、市、犬といわれています。

織田信行は信秀からつけられた家老・林秀貞、柴田勝家と共に信長に反逆し、土田御前のとりなしで許しをえましたが、再度の反逆で信長に討たれました。本能寺の変のあとは孫になる織田信雄のもとにいましたが、この時は清州城にいたのでしょう。やがて、織田信雄と徳川家康が組んで小牧・長久手の戦いが起き、織田信雄は秀吉と和睦。小田原攻めの後に家康が関東に移され、空いた三河・遠江に尾張から移るようにいわれたのを拒否。これで改易されてしまいました。

居場所がなくなった土田御前はこの時に信長の弟である信包(三十郎)のところへやってきたのでしょう。信包は織田信長の伊勢攻めで中勢地域の名家・長野工藤家に養子にはいることで乗っ取った人物で、当時は津城にいました。土田御前は津で亡くなり、四天王寺に墓ができることになります。

三重銀行と第三銀行との統合

若宮商工稲荷神社

マイドーム大阪にある大阪府よろず支援拠点で窓口相談。

さっそく隣の大阪商工会議所にある若宮商工稲荷神社へ初詣。もともとは大阪商工会議所初代会頭である五代友厚が大阪の商工業発展を祈念して奉祀した「商工稲荷神社」が祖の一つになっています。大阪の商工業者にとってはありがたい神社です。

さて三重県関係者にとってニュースが飛び込んできました。三重県の地銀といえば百五銀行、三重銀行、第三銀行の三行がありますが、まあ百五銀行は規模などで別格です。

去年、第三銀行の知り合いに、”そのうち三重銀行とくっつかないといけなくなるかも”と冗談で言っていたんですがあ、”ありゃまあ!”本当に統合するんですねえ。

第三銀行は松阪本店から東紀州(熊野や和歌山)、大阪(ウチの近くの東大阪にも店舗があります)にかけて店舗があり、三重銀行は四日市本店で北勢に店舗があるので、重なり合うところも中勢が中心でうまく調整できれば統合するメリットは確かにあります。二行と取引している中小企業にとっては取引銀行が一つ減るので、銀行対策が必要です。

塩浜

塩浜

三重県よろず支援拠点の出張相談でAMIC(高度部材イノベーションセンター)へ。

AMICの最寄駅は塩浜駅になります。全国各地に塩浜という地名がありますが、塩浜の地名があったところは昔、塩田がありました。塩浜には揚浜式・入浜式の2種類があります。

■入浜式とは
揚浜式は海から汲んで来た海水を塩田に丹念にまいていく方式で、けっこう重労働。入浜式は潮の満ち引きを利用して海水を自動的に浜に引き入れます。楽なんですが浜に堤防(プール)を作る設備投資が必要で資本がいります。

二見町にある伊勢神宮の塩田は入浜式になっています。入浜式は遠浅の干潟があるような海岸で、潮の干満があうという条件が整わないと難しいですが瀬戸内海が条件にあっていました。なかでも赤穂の塩は最高級品で赤穂の討ち入りの原因の一つではないかと言われています。

塩は生活物資なので戦国時代には甲斐の武田信玄を苦しめるために経済封鎖が行われました。

リバーナのスガキヤ

スガキヤ
三重県よろず支援拠点の定期相談で名張商工会議所へ
 
お昼は久しぶりにリバーナのスガキヤへ。東海地域のソウルフードといえば、やっぱりスガキヤですね。リバーナは現在、イオン名張店になっていて3階のフードコーナーには昔、いろいろな店があったのですが、現在はスガキヤだけになってしまいました。
 
リバーナ―には本屋さんも入っていたはずなんですが、知らない間になくなっていますね。写真に見える山の鉄塔付近に織田信長の伊賀攻めに従った、筒井順慶の陣城が残っています。

返報性の原理

名張

名張でお仕事。

大阪へ帰ろうと思って名張駅へ行くと、ちょうど電車が出たところで次の電車は30分先。駅前には本屋もないので仕方がなく唯一空いていた居酒屋へ。

スナックのようなお店で、先客は3名ほど。店のおばちゃんがエステへ行った話で盛り上がっていて、聞き耳をたてていると、きっかけはエステ店の店長がチラシを置いてくれないかと訪ねてきたそうです。

■返報性の原理
店長いわく、なかなかチラシを置いてくれる店がないというので置いてあげたらお礼にと2回ほど飲みに来てくれたそうです。じゃあ、こちらもお返しにとおばちゃんがエストへ行ったそうです。心理学でいう返報性の原理ですなあ。

おばちゃんによると初回は1,500円ですが2回目は3,500円で、初回はいわゆるお試し価格になっているそうです。結局、2回行ったようです。

「それで、しばらく見ない間にきれいになったんだなあ」という先客の言葉。この時は、おばちゃんによる返報性の原理はありませんでした。

エステ店の本拠地は隣の榛原(奈良)なんですが、名張に進出できないかテストマーケティングをどうもしているようですね。田舎の居酒屋へ入るといろいろと地元情報が入ってきます。

川喜多半泥子

百五銀行

日経新聞・日曜版に「美の美」という見開き2ページカラーで絵画や陶芸を紹介するコーナーがあります。書評コーナーともども毎回、楽しみに見ているのですが、先日、川喜田半泥子(はんでいし)が掲載されていました。「東の魯山人、西の半泥子」と称された陶芸家です。

川喜田半泥子は美の分野で有名ですが津の豪商である川喜田家16代当主でもあり、大正時代から昭和20年まで百五銀行第6代頭取を勤めました。百五銀行はナンバー銀行の1つで藤堂藩の家臣たちが作った第百五国立銀行が元です。

昭和はじめの金融恐慌では銀行がバタバタつぶれました。映画「風たちぬ」でも銀行の取付騒ぎのシーンが出てきます。川喜田半泥子は堅実経営で無事に乗り切っています。

本館は大正時代に岩田川のほとりに建ちましたが、先日、隣に新しい本館が建ち、旧本館の取り壊し工事がはじまっています。

ぎょうざの満州

近鉄四日市駅の次に急行が止まるのが塩浜駅。

塩浜はコンビナートで有名な町です。三重県産業支援センターの支所であるAMICがあるので、時たま降りたことがあるんですが、食堂などはほとんどなく、よく行っていたのが満州という中華料理屋店。

餃子で有名なお店なんですがユニークなのが近鉄から見えるところに書いてある大きな看板。「乗るなら近鉄 食べるなら満州」 、「今日も餃子で元気」、「今日も元気でピン!ピン!ピン!」とか書かれていて、かなり目立ちます。

一番笑ったのが「踏み切り一旦停止違反 9000円 満州の餃子 350円」という看板。ご丁寧に踏切前に大きく書かれています。定期的に内容が変っています。

今日の日経新聞夕刊のコラム記事を読んでいたら「餃子の満州」がチェーン店だと出ていました。あんなぶっとんだ店がチェーン店!と思ったら埼玉発祥で関東一円にあるチェーン店のようで店舗一覧には載っていませんでした。あんな変な店はやはり単独店なんですね。

サミット一日前の伊勢

山口屋

IT相談で伊勢へ。よく考えたら明日からサミットなんですね。

お昼は久しぶりに”伊勢うどん”を食べようと山口屋へ。伊勢市駅近くにある伊勢うどんで有名なお店です。ここで頼むのは”かやく伊勢うどん”と”ご飯小”。いわゆる炭水化物定食です。(笑)いつもは観光客のお客さんも多いのですが、今日はスーツにネクタイ姿のビジネスマン風のお客さんばかり。

しかし注文がたどたどしく、サンアリーナがどうのとかいう会話が聞こえてきますので、伊勢志摩サミットで取材にきたマスコミ関係者か公安関係のようです。伊勢の上空にはずっとヘリコプターが飛んでいました。

IT相談が終わって電車まで時間があったので外宮へ寄ってきました。境内はとってもすいていて、警備の警察官の方が多いぐらい。毎回、こんなんだといいですねえ。

さて電車に乗ろうと駅へ向かうと、途中で道路封鎖にあいました。なんでも安倍首相が宇治山田駅に到着して伊勢神宮へ向かうための規制なんだそうです。議長国なんで今日から伊勢志摩に来ているんですね。明日から伊勢志摩サミットです。

日本初の紙幣が使われた河崎

河崎

朝から伊勢の企業へ行っておりました。

伊勢市内には”サミット期間中はなるべく車での遠出などはひかえてください”のような案内が立っています。修学旅行も5月から6月に変更するようお願いがあったそうで、サミット準備が進んでいるようです。

帰り、宇治山田駅に着くと、電車の時間までかなりありましたので、近くにある河崎へ出かけてきました。伊勢神宮へ参拝する人は多いのですが、河崎はなかなか知られていません。勢田川沿いにある町で、日本各地から集まる物資を売りさばく問屋が軒を連ね、今も街並みが残っています。宇治山田駅、伊勢市駅からちょっと歩いたら着きます。

河崎は船で大湊へ着いた、伊勢神宮の参拝客をもてなした町でもありました。日本初の紙幣は山田で発行された山田羽書で、伊勢山田の商人が重たい貨幣の代わりに発行したものですが、信用力があったため全国で流通しました。もちろん、この河崎の町でも流通され、河崎の商人名が入った羽書が残っています。

浜 木綿子さんのサイン

桃青庵ふじさき

久しぶりに伊賀鉄道に乗って伊賀上野へ。車坂商店街にある”桃青庵ふじさき”さんに寄ると店頭に”浜 木綿子”さんのサインが!

■浜 木綿子さんのサイン
「宝塚出身の女優さんじゃないですか、これどうしたんですか?」
って聞いたら

なんでも伊賀組紐をテーマにした映画撮影が伊賀であったようで、お茶菓子に桃青庵さんの”くみひも最中”が出されたようです。とてもおいしかったのか、後で本人から電話で直接注文があった時に図々しくサインをお願いしたら送ってくれたそうです。

「なんだ~あ、直接、店に来たんじゃないんですか~あ。」
というわけで記念に色紙を店に貼っているそうです。

そうそう桃青というのは松尾芭蕉の俳号で、松尾芭蕉を江戸生まれと勘違いしている人も多いのですが、伊賀上野生まれで江戸へ旅立ったのは松尾芭蕉30歳の頃です。

■陣屋のカレー
せっかく車坂まで来ましたので、お昼は坂を降りた所にある陣屋へ。あいかわらずジャスが流れるシュールな雰囲気の中で日替わり定食を注文。今日は珍しくカツカレーでした。これにコーヒーがついて650円です。おまけにルーの継ぎ足しもしてくれます。

で、津の実家へ行くと、晩御飯はカレーでした(笑)

→ くみひも最中(桃青庵ふじさき)