カテゴリー別アーカイブ: 地域の話題

IT導入補助金セミナー(AMIC)

IT導入補助金セミナー

塩浜(四日市)にあるAMIC(高度部材イノベーションセンター)でIT導入補助金セミナーを開催。補助金の説明をした後、支援事業者(ITベンダー)4社&飛入り1社にITツールや会社概要を説明してもらいました。

セミナーは午後からでしたので昼食へ。AMIC周辺は陸の孤島で食堂がほとんどありません。いつもの港屋食堂へ行ったら模様替えしており、どうも食堂を辞めてラーメン屋さんに貸したようで「きみちゃんらーめん」というのが出来ていました。ラーメン+ミニチャーシュ丼のランチセットを食べてきましたが、なかなかいけます。

浜屋敷(吹田)

浜屋敷

大阪府よろず支援拠点の出張相談で吹田にある銀行へ。

相談が終わってから浜屋敷へ寄ってきました。浜屋敷というのは古民家を改修して江戸末期の庄屋屋敷を復元したもので、和室などが貸室にもなっています。なかなか広く庭もあります。

浜屋敷の中に吹田の歴史について展示があったのですが、淀川と神崎川を結ぶ運河が古代に作られていました。続日本紀の785年に運河を作ったという記事があり、淀川がある摂津市の一津屋から神崎川に向かって運河を通すことで京都から西国への物流を確保したようです。現在、運河は埋もれてしまったようで、残念ですね。

茨木城

茨木城

日曜日の船場総研は会場が茨木市でしたので、行くしかないでしょう!

というわけで茨木城です。城前の案内には楠木正成が築城したとありますが、どうでしょうか。応仁の乱の頃にはあったようです。現在の茨木城は小学校や宅地になっていて小学校入口に茨木城の櫓門が復元されています。

■中川清秀
茨木城の城主で有名なのが中川清秀。高山右近、荒木村重とともに摂津衆でした。荒木村重の謀反には中川清秀は加担せず信長側につきます。本能寺の変の後は秀吉とともに山崎の合戦で明智光秀を破ります。その後は秀吉に従いますが賤ヶ岳の戦いで大岩山砦を守っていましたが、佐久間盛政に攻められ戦死してしまいます。

■片桐且元
もう一人有名な城主が片桐且元。大河ドラマ「真田丸」では徳川家康と大坂方の間に入って仲裁に奔走していました。小林隆が演じていました。最後は徳川方の内通者と疑いをもたれ大坂城を出て、茨木城に入ります。町内には片桐町が残っています。

心合寺山古墳

心合寺山古墳

山城ばかりではなく、たまには古墳も巡っています。

東大阪、八尾のちょうど境にあるのが心合寺山(しおんじやま)古墳。東高野街道から少し登ったところにあり、近くには大阪経済法科大学のキャンパスがあります。心合寺山古墳は全長約160メートルの前方後円墳で、いわゆる倭の五王の時代(5世紀)に作られたものです。葬られているのは河内地域の豪族ですから物部系なんでしょうね。飛鳥時代に古墳の隣に心合寺(しんごうじ)という寺ができ、これが訛って「しおんじ」という名前になったと言われています。

心合寺山古墳に登ると大阪平野が一望できます。大坂城も見えるので大坂の陣では東高野街道を通って大坂攻めに向かう徳川の陣がおかれました。古墳は発掘調査の結果、後円部から3つの棺が前方部から1つの棺が見つかっています。

造り出しと呼ばれる舞台があり、この造り出しから発見されたのが家形の埴輪。これが単なる家ではなく、水が家の中を流れるような構造になっており、水の祭が行われた建物が古代にあったようです。日本で初めて発見されたと書いてありました。伊賀に城之越遺跡という古代に水の祭が行われた場所があり、飛鳥には亀形石造物がありますので、古代から水にまつわるいろいろな祭が行われたようです。

石切参道商店街

石切参道商店街

とりあえず今日の分の仕事は終わったことにして(笑)

近くの石切神社へ散歩へ。石切さんは物部の神様で、河内は物部氏の土地でした。昨日、尾張の古代史を読んでいたら昔、尾張に物部郷があったんですね。こちらは尾張物部氏です。

和名抄には十の郷名が記されていますが秀吉の生まれ故郷である中村郷、熱田郷、桶狭間の合戦の舞台となった鳴海郷(成海郷)の3つは、そのまま地名が残っています。

石切参道商店街へ行ってきましたが普通の土日と同じ賑わいでした。鯉のぼりがかかっているぐらいですね。残念ながらイシキリンはおりませんでした。

由義宮

日経新聞・関西版の夕刊に載っていたのが由義宮の話題。

東弓削遺跡で、奈良時代後半に作られたとみられる大量の瓦が見つかり、これが由義宮跡ではないかという記事でした。場所はJR大和路線 志紀駅の近くで、遺跡は外環状線沿いにあります。ずっと昔、八尾空港に降りようとしたセスナが墜落したのも、このあたりです。

八尾の高安に1年ほど住んでいましたが、まず行ったのが八尾にある物部系神社巡り(笑)。東大阪の石切神社を筆頭に河内にはそこかしこに物部系神社があります。もちろん志紀駅近くの弓削神社にも行ってきました。

弓削と聞いて条件反射で出てくるのが弓削道鏡です。称徳天皇のそばで権力を握った僧として日本史では有名な人物で、和気清麻呂による宇佐神宮神託事件に発展します。弓削氏は志紀駅周辺を根拠地とした物部氏の一族で、物部守屋は弓削大連と名乗っていました。ここにあったのが由義宮で、称徳天皇の離宮があり寵愛していた道鏡のために建てました。日経新聞によれば道鏡はまじめなお坊さんだったようで、結局は藤原氏との権力争いに巻き込まれ、称徳天皇亡き後、左遷されてしまいます。

こんなことで「かぐや姫」の物語が生まれるんですなあ。

三州屋(神田)

2月にRedBall(All Aboutのガイドの集まり)で東京へ行った時、飲んだのが神田にある三州屋というお店。玉子焼きを頼んだら出汁巻ではなく、甘くて、しっとりとした寿司屋さんに出てくるような玉子焼きが出てきたお店です。

一緒に飲んだのはパソコン通信Nifty-ServeにあったFchiken(知的生産の技術)フォーラム時代の知り合いで、参加者の浜田 信郎さんが居酒屋礼賛に、その時の様子をアップされています。

細かいところまでよく観察されていますね。パソコン通信時代は風早人というハンドル名で一緒にFchikenのフォーラムスタッフをしておりました。

→ なんといっても鳥豆腐 … 大衆割烹「三州屋(さんしゅうや)」(神田)

この浜田さん、TBSの「有吉ジャポン」にも登場していて、先日はモデルの滝沢カレンさんさんと酒場巡りをしていました。美女との酒場巡りなんて、うらやましいな~あ!

→ 京急もつ煮ライン (3/3) … やきとり「鳥佳(とりよし)」(上大岡)

溜池櫓台の石垣

溜池櫓台の石垣

先日、虎ノ門からアメリカ大使館へ向かう途中の外堀通りにあった石垣です。外堀通りとは名前通り、江戸城の外堀があったところです。

虎ノ門付近には名前の通り、虎御門がありました。この虎御門につながる溜池露台の石垣がビルの一角に残っていました。大坂城の総構の遺構はなくなってしまいましたが、江戸城は街のいろいろなところに石垣や見附(枡形の城門)などが残っていて楽しめますねえ。

芝浜の舞台

芝浜

田町にある「西郷南洲・勝海舟会見の地という碑」のすぐそばにあったのが御穂鹿嶋神社という小さな神社。御穂神社と鹿嶋神社を合祀して御穂鹿嶋神社となったそうです。境内入口に橘右近という名前が入った碑がありました。碑をよく見ると「芝浜囃子の碑」とあります。

芝浜って、まさか古典落語の芝浜?

■芝浜とは
古典落語の芝浜は人情話で有名です。浜で大金を拾った亭主が儲かったといって帰ってきました。女房は大金で身を持ち崩したらダメだと、いい気になって酒を飲んで寝込んでいる間に大金は夢の話にしてしまいます。亭主は心をいれかえて熱心に働き、店をもつまでになります。そして女房が薄情するのですが、これが泣かせます。先代円楽の芝浜もよかったですね。

当時は、田町駅のあたりまで海だったんですねえ。そうか芝浜はここだったんだあ。

おまわりさんの語源となった新徴組

薩摩藩邸

先日、打合せで田町へ行った時、田町駅のすぐ見つけたのが西郷南洲・勝海舟会見の地という碑。

田町駅のすぐ近くに薩摩藩邸の蔵屋敷があったんですね。すぐ近くにあったのが上屋敷で、徳川幕府滅亡の原因となった薩摩藩邸焼き討ち事件が起きたところです。上屋敷は焼けてしまったので会見は蔵屋敷で行われたんですね。

■テロを起こした薩摩藩
徳川慶喜についてはいろいろと評価がありますが、なかなかの戦略家で薩長の先手先手をうつので、西郷隆盛などは困りはてます。そこで起こしたのが浪士による放火、掠奪、暴行。つまりテロで、これで江戸の治安を陥れます。逃げこむ先は薩摩藩邸で、つまり挑発です。

治安維持にあたっていたのが江戸市中取締にあたっていた庄内藩預かりの新徴組。新選組は京都に残った近藤勇や土方歳三が作りましたが、京都から江戸にもどって作ったのが新徴組。あまり知られていませんが先日、NHKが新徴組をテーマにした「花嵐の剣士 ~幕末を生きた女剣士・中澤琴~」というドラマをやっていました。

■おまわりさんの語源は新徴組
警察官のことを”おまわりさん”と言いますが、新徴組が江戸市中を見回ることから”御回りさん”と庶民に呼ばれるようになります。薩摩には手を出すなとお達しがありましたが、治安維持にあたっていた新徴組はついにキレテ、薩摩藩焼き討ちとなります。これが薩摩の思惑通りに戊辰戦争への道筋をつけることになります。そうか、薩摩藩邸は田町にあったんだあ。