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パンダくろしお

パンダくろしお

シャンシャンが1歳になった。見学整理券がいらなくなったとパンダ一匹に東京では騒いでいますが、関西人に言わせれば、”そんなん白浜のアドベンチャーワールドに行けば、いつでも5頭のパンダが出迎えてくれまっせえ!”です。

先日、湯浅駅から大阪へ戻る時、特急くろしおに乗ろうと思ったら、御坊方面から来る車両がとっても変な図柄になっていました。先頭車のライト部分などが黒くなっていて遠くから見るとパンダ!”パンダくろしお”でした。ホームページを見ると”運転される時刻は日により異なり、また運転のない日もあります”とあるので、かなりラッキーです。車両に入ると座席ヘッドカバーが全部、パンダでした。

湯浅姓のふるさと

湯浅ふるさと会

斎藤さんの故郷である斎宮には何もありませんが、湯浅さんの故郷である湯浅には湯浅ふるさと会がありました。

藤原氏だった武将だった宗重が湯浅を支配するようになり、ここを本貫とし湯浅宗重と名乗ります。平清盛が熊野詣している最中に起きたクーデター(保元の乱)に際し、平清盛を助け共に上洛した武将として有名です。それ以降、平家側で戦いましたが最後は源頼朝に降伏し所領を安堵され、鎌倉御家人となります。この武士団が湯浅党となります。紆余曲折があり南北朝時代には全国にバラバラになったようです。

湯浅ふるさと会では年1回、全国から湯浅さんが集まるイベントを開催します。そういえば以前、湯浅城へ登った時に全国の湯浅さんが登っているという話を聞きました。

沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀の国みかん船”

広村堤防

湯浅といえば醤油発祥の地だけでなく、”稲むらの火”でも有名です。

安政南海地震が発生し津波が襲った時、濱口梧陵という庄屋さんが藁の束(稲むら)に火をつけて避難路を確保し村人が助かった史実です。2次被害を防いだだけでなく、偉かったのがその後、住人の多くが家や職を失い、村人は津波の再来におびえて、他の村へ移住する者も出りました。そこで庄屋さんは私財を投じて堤防造りを行います。村人に日当仕事を与えることにもなりました。こうして出来上がったのが広村堤防で、今も海岸沿いに残っています。写真の道路の両側にあるのが堤防です。この庄屋さんがヤマサ醤油の当主です。

湯浅と言えば、もう一つ。”沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀の国みかん船”、そう紀伊国屋文左衛門です。この紀伊国屋文左衛門が生まれたのも湯浅です。紀州出身の松下幸之助が建てた紀伊國屋文左衛門生誕の碑が残っています。

「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅

湯浅

お仕事で醤油発祥の地・湯浅へ。少し時間があったので町をぶらついてきました。

鎌倉時代の禅僧が宋で修行して金山寺味噌を持ち帰り湯浅の人に製法を伝えます。味噌を造る過程でそれまで捨てていた、野菜から染み出した水分が、とても美味しいことに気づき、これが醤油の発祥となります。

この湯浅の出身だった濱口儀兵衛が銚子に渡り、できたのがヤマサ醤油です。ですので「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地が湯浅となります。

日本遺産にも登録されたそうです。大和ハウスが湯浅を舞台にしたテレビCMを流していましたが、醤油醸造の「角長(かどちょう)」が今も残り、醤油を船で積みだした大仙堀には醤油発祥の地と看板があがっていました。街中に醤油の匂いが漂うのがいいですねえ。

→ 共創共生「湯浅町・醤油少年」 

はたよ食堂(湯浅)

はたよ食堂

先週金曜日、夜のセミナーまで、どっか喫茶店に入って時間をつぶそうと思ったら、どこにも喫茶店がない!

しょうがないので早い目にご飯でも食べようと思って町を歩いていると湯浅駅近くで赤暖簾(はたよ食堂)を発見。しらす丼とかメニューが出ていたので中に入ると客は誰もいません。しらす丼やオデンを食べながら店主と話をしていました。もちろんセミナー前なのでお酒は厳禁です。赤暖簾で酒を我慢するほど体に悪いことはありません。

■外部環境の変化
(1)一番の打撃が道路交通法の改正による飲酒運転の厳罰化で客足がとまる
(2)高速道路が周参見まで伸びたため釣り客が周参見まで行くようになり釣り客が立ち寄らなくなった
(3)湯浅駅の隣に広川ビーチ駅ができ、駐車場代がほぼタダなので湯浅駅の通勤客が減り店への立ち寄りも減った

なかなか経営が大変なんですが、地元の大学生が勝手にFacebookページを立ち上げ、書き込みを見て観光客が寄ってくれるようになったそうです。またFacebookページを見たテレビ局から取材の連絡がはいり、吉田類がやってきて「吉田類の酒場放浪記」(BS-TBS)にも登場。今度は番組を見た観光客が寄ってくれるという循環になっているそうです。

セミナー前になかなか面白い話を聞けましたが、一杯飲みたかったな~あ。

もう一つの湯浅城

湯浅城

紀伊国屋文左衛門の出身地、村人たちに津波の危険を知らせるため稲の束に火をつけた”稲むらの火”で有名な湯浅です。大和ハウス工業のCMでは湯浅町の古い街並みが出てきます。

この湯浅の町を見下ろすところにあるのが湯浅宗重が築いた湯浅城ですが、その横にもう一つの湯浅城が建っています。それが湯浅温泉 湯浅城で、以前は国民宿舎だったようです。湯浅城は戦国時代なんで山城なんですが、こちらは江戸時代の近代城郭スタイルになっていて日帰り温泉と宿泊ができます。

離れたところに二の丸温泉というのもあり、以前は同じ経営だったのが、どうも別れたようです。

湯浅では全国の湯浅姓が集まって親睦を深める「湯浅ふるさと会」という催しがあるそうで、催しの際は近代城郭風の湯浅城に泊まるんですかねえ。山城の方の湯浅城・登城記録に湯浅という名前も書かれていました。なんせ自分のルーツの場所ですからねえ。