カテゴリー別アーカイブ: 日記

大宅壮一文庫

国会図書館

探検バクモン(NHK)で雑誌専門図書館「大宅壮一文庫」訪問記を放映していました。

”大宅壮一文庫そのものを知らない人も多い”というデヴィ夫人の発言にビックリ!国会図書館にない本を探すなら大宅壮一文庫というのが定番だったんですが時代は変わったんですね。

国会図書館には納本制度があり、国内で発行されたすべての出版物を、国立国会図書館に納入することが義務づけられています。実際に検索すると私の著者も3冊、納本されていました。

昔、月刊誌、週刊誌などは国会図書館に納められず消えていくだけ、それを集めて索引もつけて保管したのが大宅壮一文庫です。立花隆がせっせと大宅壮一文庫に通い、田中角栄の金権政治を暴いた「田中角栄研究」を上梓したことでも有名です。

国会図書館に納本されていた「インターネット情報収集術」(秀和システム 1997)を久しぶりに書棚から出すと、大宅壮一文庫は出てきませんが、情報図書館RUKITについて書いていました。RUKITは図書館と言いながら本はなく、専門知識がない一般人がサーチャに教えてもらいながら各種データベースを検索できる便利な図書館でした。今はもうなくなったようですね。久しぶりに本を読み返すとなかなか面白いことが書いてあります。

ホームページの顔写真

日経新聞・投資情報欄に「一目均衡」というコラム記事があるのですが、火曜日(9/5)に面白い内容が掲載されていました。

ひふみ投信を運用するレオス・キャピタルワークスが行った調査で、上場企業がホームページに社長や役員の顔写真を掲載しているかどうかと株価の関連の分析をした結果です。

■社長や役員の顔写真がないと株価が低い
全体平均よりも14%低い株価評価で情報公開に消極的な姿勢が顔写真にもあらわれていそうという分析。また不祥事企業の多くではホームページに社長の顔写真がなかったそうです。

反対に役員の顔写真が掲載されている会社は全体平均を70%強、上回っていました。社長の経営方針など非財務情報が株価に影響を与えますので情報公開姿勢は重要です。

ということは中小企業も同じでホームページの経営者の顔写真が情報公開姿勢や会社の雰囲気のバロメータになりそうですね。合同会社エムアイティエスではバナー画像として全ページに顔写真が出てきます。(笑)

浦島太郎は建国に関わっていた?

太鼓橋

「かぐや姫」とくれば次は浦島太郎です。浦島太郎というおとぎ話はメチャクチャ古くからあります。

まず正史である「日本書紀」に出てきます。丹波国の浦嶋子(浦島太郎)が釣りに出かけ大亀をつかまえました。この大亀が実は女性で、浦嶋子の奥さんとなり、二人で海中に入って蓬莱山へ行き、仙人たちに会ってきたという話です。日本書紀には別巻があったと最後に書かれていますが残念ながら伝わっていません。別巻を作るぐらい、浦島太郎を重要視していたようです。

日本書紀の成立は養老4年(720年)ですが、それ以前から流布していたのは確実です。蘇我氏が滅んだ時に天皇記、国記が焼けてしまいましたが、おそらく浦島太郎の話が書かれていたのでしょう。

■浦島太郎って誰?
浦島太郎とよく似た人物が神武東征で出てきます。神武天皇が大和へ向かう時に、珍彦(うずひこ)という人物が水先案内人をしますが、これが亀に乗って釣竿を持った人物。

万葉集では浦島太郎の舞台が住吉になっています。住吉神社に祀られている住吉大神は塩土老翁で、モデルが武内宿禰といわれ300歳以上の長命です。この塩土老翁は神武に東征をうながした神さまです。

武内宿禰は昔の紙幣の肖像にも使われていましたが塩土老翁と同じように応神天皇の東征を助け、葛城氏・蘇我氏など豪族の祖となりました。この武内宿禰が浦島太郎ではという説があります。乙巳の変でクーデターを起こした藤原氏にとって、クーデターを正当化できないような、まずいことが書かれていた天皇記、国記を、これ幸いと焼いてしまったという説もあります。

住吉神社といえば太鼓橋が有名ですが、昔はすぐ近くが海岸で、太鼓橋下の池は当時の入り江(ラグーン)の名残と言われています。

かぐや姫の石上麻呂と山城

高安城

かぐや姫の続きです。(笑)

■石上麻呂が監督した山城は?
かぐや姫に出てくる5人の公達の一人が石上麻呂。石上なので、もちろん物部氏です。

石上麻呂は壬申の乱では大友皇子側で、皇子の自殺まで従いました。有能な人物だったようで、のちに赦されて右大臣、左大臣に任じられ、遣新羅大使や筑紫総領も歴任しています。榎本武揚のような存在ですね。日本書紀に石上麻呂が筑紫に派遣され、新しくできた城を監督させたという記録が残っていて、この新しい城について諸説あります。1999年に大宰府周辺で阿志岐城が発見されましたので、まだ見つかっていない山城かもしれません。

■百済遺民が日本各地へ
当時、日本を取り巻く状況が最悪でした。天智天皇が滅ぼされた百済の遺民と組んで唐・新羅連合と戦いますが、白村江の戦いで大敗し、日本は存亡の危機を迎えます。実際、唐は日本への侵攻計画をたてていました。この時に水城、大野城、金田城などが整備され、最後の砦となる大和の守りに作られたのが高安城(1979年に高安城を探る会によって発見)です。天武朝になっても周辺国との緊張が続きましたが、唐と新羅が戦うようになり危機を脱します。

日本へは、新羅に滅ぼされた百済遺民が大挙して移り住みます。昨今の朝鮮情勢で日本へたくさんの難民が来るのではと言われていますが、歴史的に見ると百済滅亡、南宋滅亡など何回もありました。

百済遺民は数も多く、九州などでは6割以上が百済系という事態となり、朝廷では計画的に全国へ遺民を移します。東京都の狛江市や京都精華町の下狛のような土地名が当時の名残です。枚方市には百済寺が大阪には百済貨物ターミナル駅もあります。西武池袋線には高麗駅という名前が残っています。

かぐや姫は藤原氏告発の書!?

かぐや姫

以前、道鏡に由来する由義宮の話題で『藤原氏との権力争いなどから、”かぐや姫”の物語が生まれた』と書いていたら、『なんで、かぐや姫が関係あるの?』という質問がありました。

かぐや姫といえば竹取物語です。あまり知られていませんが一説には藤原氏告発の書と言われています。竹から生まれ美人に育った、かぐや姫に5人の公達が求婚します。5人の公達は、石作皇子、車持皇子、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂で、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物で、壬申の乱や天武・持統朝に活躍した人物です。石作皇子は多治比島ではないかという説もありますが、歴史に埋もれてしまった実在の人物かもしれません。

■車持皇子は藤原不比等のこと?
車持皇子は藤原不比等と言われており、車持は母方の名前です。かぐや姫から「蓬莱の玉の枝」を持ってくるように言われますが、海に出ず、職人に命じて偽装します。ところが職人に賃金を払わなかったことから偽装がばれます。竹取物語では車持皇子が最も卑劣な人物として描かれています。表だって藤原氏を批判するわけにはいかないので、他の4人は実名なのに車持皇子だけ仮名にしたのではと言われています。

月から、かぐや姫を迎えにきますが、その時の台詞が「さあ、かぐや姫。穢れた所(地上)から戻りましょう」で、”(藤原の)穢れた所”という意味と言われています。浦島太郎など日本の昔話は、いろいろと奥深いですねえ。

合同会社エムアイティエス AIアプリ「山城ゲットだぜ!」を発表

山城ゲットだぜ

2017年4月1日
報道関係者各位

合同会社エムアイティエスがAIアプリ『山城ゲットだぜ!』を発表。

合同会社エムアイティエス(代表 水谷哲也 東大阪市)を3月に設立いたしました。合同会社エムアイティエスの主な事業目的はAI(人工知能)ですので、さっそく機械学習システムを開発しました。システムに画像を見せると画像の中から構造物を自動的に認識し分類することができます。この機械学習システムに数百の山城に関する画像を見せたところ、対象となる物体が単なる窪みか堀切か区別できるようになり、また切岸や郭の見分けも自動的につくようになりました。

先日、エムアイティエスはナイアンテイツクと提携を行い、機械学習システムにAR(拡張現実)機能を拡張することにしました。第一弾として開発したのがAIアプリ『山城ゲットだぜ!(三重版)』です。山城に登り、AIアプリを起動し撮影します。画像からAIアプリが郭だと認識すると、山城に関わる武者が登場します。例えば伊勢上野城の郭なら分部光嘉が登場します。

■AIアプリ『山城ゲットだぜ!(三重版)』
この武者を図鑑に納め、コレクションすることができます。AIアプリの名前は『山城ゲットだぜ!』で、まずは三重版をリリースします。ポケモンGOと同様に外へ出て山城へ登り、健康を維持してもらうことを目的にしています。ただし切岸から落ちても自己責任です。

AIアプリ『山城ゲットだぜ!(三重版)』では、三重県内にある850の山城をアプリへ登録しました。ぜひ850の山城へ登り、コンプリートを目指してください。毎日、登ると2年4ケ月で達成することができます。ただし初夏から初秋にかけて季節にヤブだらけの山城に登るのは難しいため、実質的には半年しか活動できませんので、平均的には5年で達成できると予想しています。

三重版の次は滋賀版のリリースを予定しており、滋賀版では1000の城を登録するため、現在、山城に登ってAIアプリの機械学習をすすめています。

節分の巻きずし

巻きずしチラシ

津で節分といえば昔も今も平治煎餅の福引せんべいですが、巷(ちまた)ではいつの頃か恵方を向いて巻きずしをかじるという摩訶不思議な風習になっています。

恵方巻なんだそうで始まりは諸説ありますが広まったのは昭和15年に大阪鮓商組合後援会が「節分の丸かぶり寿司」チラシを発行してからです。戦争で中断しましたが、戦後に復活させました。写真は当時のチラシです。

平賀源内が土用の丑の鰻をひろめたり、チョコレート業界がバレンタインチョコを宣伝したりと、商業主義に踊らされていますねえ。さあ、北北西を向いて巻きずしを食べなきゃあ(笑)

永すぎた春(三島由紀夫)

読売新聞・朝刊を見ると一面に「自決9か月前、三島由紀夫の肉声テープ見つかる」の記事が掲載されていました。

仮面の告白、潮騒、金閣寺など有名な著作が多いのですが、三島由紀夫には「永すぎた春」という少し変わった作品があります。主人公が古本屋さんの娘さんで、それも帝大前のたぶん本郷あたりの古本屋という設定です。映画化もされたそうで、そのスチール写真がちょうど振り市(古本の業者の市で本のセリ市)で発声している若い女性でした。(女優の名前は忘れました)

昔、三島由紀夫の初版本を古書市で掘り出してきて、検印にもちゃんと三島と捺されていました。あの本、どこへ行ったかなあ。

万吉稲荷神社-木村重成

木村重成

桜の通り抜けで有名な造幣局ですが、もともとは藤堂藩の大坂蔵屋敷跡です。桜ノ宮の近くだったので屋敷内にもたくさんの桜を植えていて、これが造幣局に引き継がれました。

藤堂藩の蔵屋敷跡というのは知っていたんですが、「築城の名手 藤堂高虎」(戎光祥出版)を読んでいたら藤堂藩の前は木村重成の屋敷があったんですね。そう大坂夏の陣で長宗我部元親と若江・八尾の戦いに出陣し、討死した木村重成です。

さらに調べると木村重成屋敷の鎮守だった稲荷神社はそのまま藤堂藩蔵屋敷の鎮守になっていましたが、明治になって造幣局が造られる時に伊賀上野に移されたそうです。現在は伊賀上野の中心街、上野中町に万吉稲荷神社として現存するそうです。上野商工会議所の近くなんで、今度、商工会議所へ行く機会がある時は、ぜひ寄ってこよっと!

サンタが北太平洋を横断中

サンタ

クリスマス・イブです。今日も北極をスタートしたサンタクロースがプレゼントを配りながら現在、カムチャッカ半島を通過しています。サンタを追跡するのはNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)です。

61年前、シアーズ ・ローバック社が子供向けに「サンタへの直通電話」を開設した時、広告を出した電話番号が間違っていて、なんとNORADの前身であるCONAD(中央防衛航空軍基地)司令長官のホットラインの電話番号でした。子供達からの電話を受けた司令官ハリー シャウプ大佐は、サンタが北極から南に向かった形跡がないか部下にレーダーで確認させます。

電話をかけてきた子供達にサンタの現在地の最新情報を順次伝えたことからこの伝統が生まれ、現在は偵察衛星、イージス艦、サンタカメラネットワークで追跡して動画になっています。

今、見たらサンタは北太平洋を横断中でウェーク島へ向かっています。

→ サンタ追跡サイト