月別アーカイブ: 2015年6月

夏越の祓

夏越の祓

6月30日。今年も無事に半分が過ぎました。というわけで夏越の祓です。

いつもは地元の枚岡神社へ行くのですが、津にいますので三重県産業支援センターの仕事が終わってから、津城横の高山神社へ行ってきました。津藩の藩祖・藤堂高虎を祭る神社。藤堂高虎の法号が高山なので高山(こうざん)神社という名前になっています。

夕方から、あいにくの雨になっていましたが境内では4名ほどが茅の輪くぐりをしていました。しかも女性ばかり。

傘をたたんで雨に濡れながら3度、8の字をかくように茅の輪をくぐります。これで厄落としも、終了。後半戦、がんばらなくちゃあ。

写真は高山神社ではなく、先日行った伊賀天満宮の茅の輪です。

よろず塾ワークショップセミナーが終了

よろず塾

大阪府よろず支援拠点の「よろず塾ワークショップ」。

「成果の出るWEB活用法」をモノにする! 編の第2回目が終了しました。場所はマイドーム大阪8階の会議室。20名限定のワークショップです。

今回のテーマは「ネット活用はホームページだけと思っていませんか?ソーシャルネット活用からリアルでの広報までを学ぶ!!(ネットを活用したプロモーション&販路拡大)」。

内容は
・ホームページ、ブログ、メルマガ以外に新しく登場したFacebook、Twitter、Line@などSNSをどう活用していけばよいか
・ホームページなどへの動線をリアルな広報などを含めてどう考えるべきか
・ホームページを外部発注する場合の注意点
などです。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございます。

次回の「よろず塾ワークショップ」は新規開拓の成功はツールの準備と行動量で決まる!増客のノウハウとコツはここにあった!編で申込受付は7月1日からです。すぐ一杯になりますから、申込みはお早目に。

知って損なしコンビニ裏話!

森 憲二郎

昨夜は大阪産業創造館で知研関西の6月セミナー。

ファミリマートに20年にわたって勤め、SVとして売上No1にもなった森さんに「知って損なしコンビニ裏話!」と題して話をしてもらいました。

セブンイレブンの日販は平均で66万円を超えていますが、これは戦略がすぐれているからなんですね。本部でコントロールできる立地、商品に力をいれ、店長によって差が出るオペレーションの優先度は3番目。それ以上に利益につながらないことには金をかけない徹底度がすごい!その代わり金をかけるとことにはかけるメリハリがすごい!今度、コンビニに行った時、教わったいろいろな違いをぜひ、確かめてみます。

ファミリマートに140ほどの営業所(1営業所で複数店舗を対応)があり、売上を競っています。売上が100~140位になると降格される厳しい世界。そんななか20~30位の売上だったのを常にベスト10に入るために売った方策など、コンビニの裏話をお話しいただきました。

・コンビニで一番、粗利のよい商品はなにか
・昔からセブンイレブンで「おでん」を出し続けた理由 はなにか
・反対に利益率のよいチキンをセブンイレブンではなぜ やらなかったのか
・セブンイレブンのウォークイン冷蔵庫(ジュースなど が入っている冷蔵庫)の取っ手がなぜセブンイレブンでは右にしかないのか

などなど、意外な所にマーケティングなど、いろんなヒントが隠されているんですね。後半は少し時間切れでしたので、ぜひ後編を企画します!

本日、中国大返しがスタート

清水宗治

天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変が発生。織田信長は「是非に及ばず」という言葉を残し、本能寺の炎に消えます。新暦で言えば、この日曜日。

月曜日、備中高松城を水攻めしていた秀吉の陣に本能寺の変の一報がもたらされます。秀吉はさっそく安国寺恵瓊を通じて、毛利側と交渉、和議を結びます。昨日の火曜日、堀尾吉晴(後年、国宝・松江城を造ります)と蜂須賀正勝を立会人にして清水宗治・自刃の検分を行います。

本日、和議に従い毛利が撤退をはじめたのを確認し、水攻めしていた堤防を決壊。今から姫路をめざし、中国大返しが始まります。

当時も今日のように蒸し暑い一日だったんでしょうかあ。姫路まで駆けるのは大変だったでしょう。433年前、今日が中国大返しスタートの日でした。

ジャズが流れるお食事処「陣屋」

陣屋

久しぶりに朝から伊賀上野の企業をまわっていました。

伊賀上野でお昼と言えばお食事処「陣屋」。ここには日替定食(650円)があり、この値段でコーヒー付きです。今日の日替わりはチキンカツ。

けっこうなボリュームがある日替わり定食でして、、いつも注文時に「ご飯を半分にして」と言っています。今日は久しぶりに行ったので、頼むのを忘れていて、てんこ盛りのご飯が出てきました。(笑)食べるのが苦しかった。

店内は畳席やいす席などがある、普通のお食事処なんですが、カウンター裏には薄汚れた数百のLPレコードが並んでいます。そら揚げ物とか多いので、煙でいぶされて薄汚れてくるでしょう。店内のBGMでは、そのLPレコードを次々にかけていて、全曲ともジャズ。(笑)

マイルス・デイビスやハービー・ハンコックが流れる店内で、日替わり定食が食べられるなかなかシュールなお店です。

よろず塾ワークショップセミナーを開催しました

よろず塾ワークショップセミナー

大阪府よろす支援拠点の「よろず塾ワークショップ」。

本日と次週の2回で開催します。テーマは「成果の出るWEB活用法」をモノにする! 編。ワークショップ形式で行うので、限定20名の募集ですが申込開始と共にすぐに埋まってしまいました。

本日の内容は「あなたのホームページは見る人のニーズを考えていますか?自分のよさをアピールして売り上げアップ!!」ということでサイトのターゲットとニーズを妄想(ペルソナ分析)し、タイトルや説明(descrption)をしっかり作って自社のよさをアピールしましょうという内容です。フューチャーライトコンサルティング代表の西谷さんと2人体制で行いました。

18時から21時までの長丁場ですが、皆さん熱心に取り組んでおられました。次回は「ネット活用はホームページだけと思っていませんか?ソーシャルネット活用からリアルでの広報までを学ぶ!!(ネットを活用したプロモーション&販路拡大)」です。

カレー専門店B

 

カレー専門店B

大阪府よろず支援拠点で窓口相談。

お昼は地下鉄谷町四丁目駅のすぐ近くにあるカレー専門店Bへ。このお店は昭和62年に開業した老舗で、谷町四丁目界隈のカレー戦争の火付け役となったお店です。

今日は21時まで「よろず塾ワークショップ」をやらないといけないので、お腹が減るといけないとチキンカレーの大盛りを頼みましたが、量がすごかった(笑)

天野屋利兵衛は男でござる

天野屋利兵衛

マイドーム大阪の裏口が東横堀川となりますが、この一角に「義侠 天野屋利兵衛之碑」があります。

天野屋利兵衛って、あの忠臣蔵の天野屋利兵衛!!

忠臣蔵十段目に登場する堺の商人が天野屋利兵衛(忠臣蔵では天河屋義平)。吉良邸への討ち入り用と判っていながら、赤穂浪士に武器を援助する商人として登場。役人(実は天野屋利兵衛の真意を疑う赤穂浪士が変装した姿)の取り調べを受けますが、決して口を割りません。武具が入っている長持の上に座り、有名なせりふをはきます。それが、「天野屋利兵衛は男でござる」。

天野屋利兵衛は実在した人物で、熊本藩細川家と岡山藩池田家の大阪屋敷に出入りしていたと伝わっています。屋敷が東横堀川に架かる大手橋(本町橋から北に2つ目の橋で、マイドーム大阪のすぐ近く)のたもとにあったと伝承されています。それで碑が建っているんですね。

天野屋利兵衛は忠臣蔵で有名ですが、赤穂浪士とは関係がなかったというのが定説です。ところが赤穂浪士の一人である大高源吾が墓のある薬王寺に共に葬られていますので、なにかあったのかなあ。竹本座のパトロンでもあったので、自分が登場するように画策したとの説もあります。

そういえば幕末、高杉晋作を助けた政商として白石正一郎の名前がよく上がりますが実際はそれほどでもなく、入江和作が幕末の志士たちを援助し、高杉晋作の住居の世話や「おうの」
の面倒もみていましたが、あまり世間に広まっていません。

マイナンバーを漏洩すると執行猶予がつかない

ITC三重

ITC三重の定例会

2016年1月からスタートするマイナンバー制度がテーマで村阪理事長から話をしてもらいました。

マイナンバーなどを従業員が名簿屋などに売ってしまうと4年以下の懲役もしくは200万円以下の罰金となりますが、執行猶予が3年なので4年フルの刑となると執行猶予がつかず実刑になってしまいます。また、個人情報保護法と違い、従業員と共に法人も罰せられます。

従業員からマイナンバーを集めるタイミングは12月に年末調整の扶養控除等異動申告書を出してもらうので、この時にマイナンバーを集めるのが現実的。意外なところでは駐車場を個人から借りている場合や株主の配当支払いでもマイナンバーが必要となります。本人確認で免許証などがない場合、2016年1月から住民票に個人情報が入るので、それで代用ができます。

大企業ではマイナンバーカードについているICチップから読み取りするようなことを考えますが、中小企業の多くは手書きでの転記になります。絶対に間違いが発生するのを行政はどうするつもりなんだろうという議論になりました。

本能寺の変は今週、日曜日

備中高松城

備中高松城の戦いシリーズの最終回。(笑)

高松城の周りは湿地帯で城を攻めるには狭い道を行くしかなく、城から狙い撃ち。「のぼうの城」で有名な忍城と同じ沼城でした。ですので高松城の経験があった秀吉は三成に水攻めを命じたのでしょう。

■水攻めの開始
秀吉は高松城を3万の軍勢で囲み、攻めてみましたが敗退。そこで誰もやったことがない水攻めを開始します。工事に着手したのが1582年5月8日。旧暦ですので新暦にすると5月29日となります。完成に12日かかりましたので、新暦の6月9日に完成。足守川の水をせき止めて流し入れ水攻めを開始。

ちょうど梅雨シーズンで、今日のような雨が降り、みるみる水位があがっていきます。後詰(援軍)に来た毛利軍も手が出せず講和の申込をしますが、秀吉は信長に出陣を待って毛利攻めをするために、ノラリクラリと講和を引き延ばします。

■本能寺の変はこの日曜日
信長に京都から来てもらうため山陽道と高松城までの街道を整備し、途中に休憩所なども造っていたのでしょう。秀吉の中国大返しができた理由に、この街道整備が大いに貢献しました。

1582年(天正10年)の今日、秀吉は水攻めの真っ最中。高松城の士気を下げるために石井山の付城で宴会でもやっていたのでしょう。明智光秀は今日、丹波亀山城に入り、出陣の準備をはじめます。信長は安土城にいて、森蘭丸など小姓を連れ京都へ出発するのが金曜日。

本能寺の変は21日(日)になります。来週の月曜日に本能寺の変が秀吉の本陣にもたらさせ、来週から怒涛の人生が秀吉を待つことになります。