月別アーカイブ: 2015年12月

今年最後の忘年会

ねぎ坊主

年末に開催している忘年会。

中小企業診断士仲間が堺筋本町の「ねぎ坊主」に集合して行っています。参加してから、けっこうな年数が続いてており、1年に1回会うメンバーもおります。

去年はいろいろとあって参加メンバーが2人だけで、それでも焼酎のボトルを頼み、飲みきれずにキープしてあったのですが、きちんとお店に残っていました!探すのにけっこう手間取っていましたが、奥から出てきました。すごい!なんでも1年半ほどは、キープしているそうです。

写真は名物の卵8個を使った巨大だしまき。ネバネバなど変わったメニューオンパレードのお店です。久しぶりにニンニクのオイル漬けを食べました。

不破の関(関ヶ原)

不破の関

関ヶ原シリーズもいよいよ最終回。

■関ヶ原は壬申の乱の舞台でもある
関ヶ原の戦いよりも900年ほど前にあったのが壬申の乱。徳川家康が最初に陣地を置いたのが桃配り山で、大海人皇子が兵士に邪気を払う桃を配り快勝したことにちなんでいます。関ヶ原は交通の要所で中山道が通っており、北国街道、伊勢街道に分岐しています。この関ヶ原にあった不破の道を封鎖したのが大海人皇子。

壬申の乱を勝ち抜いた大海人皇子は即位して天武天皇になり、不破関、鈴鹿関、愛発関の3つの関所を設置します。写真は現在の中山道で、ここから急な下り坂になり、坂を下ると藤古川があります。下からみると崖になっていて、この場所に不破の関が作られました。現在も土塁などの一部が残っています。関所というと箱根の関所のようなイメージですが、古代の関所は広範囲に土塁や壁で囲まれた施設で部隊が駐屯していました。

■非常事態には関を閉じる
天皇がなくなったり非常事態が起きると三関が閉じられます。これを、固関(こげん)と呼んでいます。外部から都への侵入を閉じたのではなく、都側の方を閉じました。不破関も東側はなだらかな丘陵で壁があっただけですが、都がある西側は藤古川と急な崖で防衛されていました。

大海人皇子は関東の尾張族の力によって壬申の乱を勝ちましたが、同じように外部の勢力と結びつかないようにしたためかもしれません。威力を発揮したのが藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱。藤原仲麻呂はクーデターに失敗し、息子がいる北陸に逃げようとしましたが、愛発関が閉じられ突破できず、結局、琵琶湖で討伐軍に討ち取られます。

オヤヂの会 忘年会

ふぐ久

朝から梅田LECへ。

東梅田駅からホワイティ梅田を歩いていると、串カツ・ヨネヤの立ち飲みコーナーがちょうどオープンするところで(朝9時からです)さっそくお客さんが一人、入っていました。朝から、いいな~あ。

さて経営情報システムの講義。ARPやらERPやら3文字熟語のオンパレードなんで、情報系の仕事をしていなければ、チンプンカンプンの内容ばかり。大変ですが合格のためには覚えるしかないので、皆さんがんばってください。

夕方、講義が終わってから鶴橋へ移動。ふぐ久でオヤヂの会です。最近、メンバーの2人には孫ができていますので、早晩、オジイサンの会になりそうです。テッサからフグ鍋、白子、フグの唐揚げを食べ、最後は雑炊を食べて帰ってきました。おいしかった!

船場総研 忘年会

トロロ

大阪の中小企業診断士の勉強会に船場勉強会というのがあり、そのOB組織が船場総研です。本日は奈良で散策&忘年会。ふだん、ほとんど活動しないこともあり、皆さん久しぶりということで今日は19名も参加していました。

Aコース-近鉄奈良駅に集合して興福寺、春日大社、新薬師寺を巡るコース
Bコース-大神神社周辺&奈良町を巡るコース
Cコースー忘年会だけ参加

が用意されており、もちろんお酒の神様であるBコースに参加。ところが近鉄電車が微妙に遅れてJRの桜井駅の乗継に間に合わず、タクシーでJR三輪駅に向かうという波乱の幕開けでスタート。

大神神社の祭神は大物主大神。出雲の神様です。日本最古の神社に出雲神が祭られていて、古代史はとっても面白いですね。

昼食は大和イモのトロロ。忘年会は「なめこオロシ鍋」での豚のしゃぶしゃぶで、とっても美味でした!それはいいのですが飲み放題のメニューに「風の森」が出てきて、好きでよく飲んでいる銘柄なんですが、採算はあうんですかねえ。って、けっこう飲みましたが(笑)

藤堂高虎、京極高知陣跡(関ヶ原)

藤堂高虎、京極高知陣跡

まだまだ続く関ヶ原シリーズ 第12回は藤堂高虎・京極高知陣跡です。

東軍の第一軍が福島正則隊で、藤堂高虎・京極高知は第二陣になります。不破の関跡あたりまで進軍し、大谷吉継の隊に属していた平塚為広(美濃垂井城主)と交戦。小早川秀秋軍とともに大谷軍を破っています。

■京極高知
京極高知は名前の通り、近江守護で北近江をおさめた京極氏。浅井氏は京極氏の被官でしたので小谷城には京極丸があり、名義上の盟主を京極氏にしていました。信長が清州城に尾張守護の斯波氏を迎えていたのと同じ構図です。もっとも信長は途中で斯波氏を追放してしまいました。

京極高知の兄が京極高次で奥さんは浅井三姉妹の初。大河ドラマ「真田丸」では姉の淀君への使者として登場するはずです。関ヶ原の合戦の時は大津城城主で西軍の立花宗茂らに攻められましたが関ヶ原の合戦時までねばり、立花宗茂らは関ヶ原に間に合わず結局、西軍の勢力をそぐことに成功します。京極氏は兄弟で家康側として戦いました。

■藤堂高虎
藤堂高虎は最初、浅井の家臣ですので、京極氏は昔の主筋。ともに戦うことになった時、感慨深いものがあったでしょうね藤堂高虎は何度も主君を変えた戦国武将として有名ですが、江戸時代、外様だった高虎を家康がめちゃくちゃ信頼していましたので、半分以上は譜代のやっかみでしょう。藤堂高虎は秀長(秀吉の弟)に仕えた時に頭角をあらわし、はじめて自分の力量を評価してもらえる主人と巡りあい、せっせと働いて自身も大名になります。ところが長年、仕えた秀長が病死し、後を甥の秀保が継ぎ、家老として後見します。秀保の代理として文禄の役にも出征しますが、この秀保も若くして亡くなってしまいます。ホトホトいやになったようで、高野山に出家。この時は秀吉が説得して還俗させます。

藤堂高虎といえば旗印にしている三つの白餅が有名ですが、他にもいろいろな逸話が残っています。関ヶ原で敗れた石田三成に声をかけ、わが軍の直すべきところを教えてほしいと言った話は有名です。津藩の初代藩主となります。

歌舞伎の経済学が終了

歌舞伎座

駒澤大学・経済学部の代田教授と松竹株式会社の武中常務による「歌舞伎の経済学」が終了。

無料大学オンライン講座Gaccoの講座です。4回の講座と小テスト、最後は最終テストがあり、なんとか終わりました。歌舞伎に関するいろいろな歴史や江戸時代の貨幣価値などが学べる講座でしたが、正解が2つある出題ミスが3問ありました。私も経営情報システム(中小企業診断士試験)の模試などを作っていますが、作問って、けっこう難しいんですよね。

千両役者という言葉がありますが、当時の米価で換算すると今でいう1億円プレイヤー、庶民は熱狂したでしょうね。江戸時代の席代ですが平土間で2千円~1万円ぐらい、桟敷席は高く5万円ほどしていました。ただ朝から夜までの1回公演でしたので、そう考えるとリーズナブルな価格です。江戸時代、桟敷席に座るようなお大尽は幕間に芝居茶屋で演目や役者にあわせて着替えまでしていました。

松竹の歴史の話もあり、創業は京都の栄座にあった売店からスタート。松竹のホームページには京都の新京極・阪井座の興行主になってからの歴史が掲載されていますが、この前があったんですね。第5期歌舞伎座の話も出てきますが、設計は隈研吾で、劇場を作ったことがない隈をパリ国立オペラのガルニエ劇場に連れていった話などが出てきます。今度は新国立競技場を担当することになりました。

福島正則陣跡(関ヶ原)

福島正則陣跡

関ヶ原シリーズ よく続きますねえ。(笑)
第11回目は福島正則陣跡です。

関ヶ原駅から少し西に向かうと松尾という交差点があり、少し南に行った春日神社の境内に福島正則陣跡があります。この神社の大杉は樹齢800年で、400年前の関ヶ原の時にもあり、関ヶ原合戦屏風の真ん中に描かれています。神社も当時からあったようで祠も描かれています。ここらあたりに陣を置いた福島正則は目の前の宇喜多軍とぶつかりますが、宇喜多勢の前衛が大河ドラマ「真田丸」にもきっと出てくるキリシタン武将・明石全登です。

■石田三成がきらいだった福島正則
福島正則は小さい頃から秀吉に預けられ加藤清正らとともに、秀吉の奥さん「お寧」に育てられ初陣は播磨の三木城攻めだったようです。文禄の役の頃から、石田三成とはそりがあわなかったようで、七将による石田三成襲撃事件にも加わっています。

先日、「地形で読み解く真田三代最強の秘密」(朝日新書)を読んでいたら、この襲撃事件の話が載っており、福島正則は三成に襲撃を事前通告していたそうです。石田三成が挙兵するか家康のもとへ行った時に殺してしまおうと考えていましたが、家康はそんな安直な道を選ばず、三成を隠居させることになります。この時、佐和山城へ送り届けたのが家康の次男・結城秀康で三成は結城秀康に秀吉からもらった名刀・正宗を送り、現在まで伝わり重要文化財になっています。ただ、三成の隠居がきっかけで関ヶ原の合戦になりましたので家康も驚いたでしょう。

■名槍を黒田家にとられた福島正則
大河ドラマ「黒田官兵衛」でも描かれていましたが、福島正則が黒田家家臣・母里友信に酒すすめたところ、断られ酔っていた福島正則は母里友信を罵倒し、「これしきの酒が飲めないのか、飲めたら何でもやるぞ!」と言ってしまいます。酒癖が悪かったようですね、自戒しないと(笑)。怒った母里友信が見事に酒を飲みほし、秀吉からもらった名槍をまんまとせしめます。これが「酒は呑め呑め~」の黒田節となります。

関ヶ原の後、福島正則が領地にしたのが広島藩。三成とは反目していましたが、気持ちは豊臣方だったため大坂の陣では江戸にとどめられます。家康が死んだ後、広島城の石垣等を幕府に無断で修理したことが武家諸法度違反にとらわれ、結局、福島家はとりつぶしとなりますが旗本としては残りました。

三成と同郷だった田中吉政陣跡(関ヶ原)

田中吉政陣跡

関ヶ原シリーズ 第10回は田中吉政陣跡

徳川家康最後陣跡が関ケ原町歴史民俗資料館のすぐ横にありますが、田中吉政陣跡もすぐ近くにあります。この位置ですので石田三成軍と戦っていたのでしょう。

田中吉政は近江・長浜の出身で石田三成の出生地のすぐ近く。田中吉政の方がひとまわり年長です。もともと浅井家の武将だった宮部継潤に仕えましたが、秀吉の調略で宮部継潤が織田方になったため、そのまま宮部継潤から秀吉に仕えます。そうそう本能寺の変の時、織田勢力の一番西側にある鳥取城を守っていたのが宮部継潤で、秀吉は全幅の信頼をよせていました。

■家康の後、岡崎をおさめたのが田中吉政
小田原の北条攻めが終わった後、秀吉によって家康は関東に移転させられますが、家康の旧領だった岡崎に入ったのが田中吉政です。宮部継潤と同じで、秀吉から信頼されていたのでしょう。

関ヶ原の合戦では家康に味方し、戦いが終わった後、探索を命じられ伊吹山中で逃亡中の石田三成を捕まえます。同郷ということもあり三成を手厚く扱ったようで、秀吉から三成がもらった脇差を田中吉政に渡し、この脇差が現在まで伝わっています。

■関ヶ原のあと、柳川藩初代藩主に
関ヶ原の功で筑後一国が与えられ柳川へ入ります。立花宗茂が西軍として大津城攻めを行ったため、柳河の領地を取り上げられ、代わりにあたえられました。柳川藩・初代藩主となります。田中吉政は関ヶ原の合戦から9年後に京都で死去。ところが復帰運動を展開した立花宗茂は旧領の柳川への復帰が成功。柳川藩田中家は2代で終わってしまいます。真田昌幸(幸村の父親)が立花宗茂と同様に復帰が認められていれば、来年の大河ドラマ「真田丸」はなかったでしょう。

LECで経営情報システム講座がスタート

ヨネヤ

本日は中小企業診断士試験の2次口述試験日。

既に来年に向けての講座がはじまっており、今日は経営情報システムの初日。今年の経営情報システムは合格率6.4%(合格者716人/受験者11,172人)という超難関試験になってしまいましたので、来年はちょっとは易しくなるでしょう。

夕方には講座が終わり、梅田地下街を歩いていると串カツのヨネヤの立ち飲みコーナーがまだ空いていたので、さっそく入って一杯飲んで帰ってきました。ヨネヤってGoogleのストリートビューに普通に出てくるんですねえ。写真はストリートビューの写真でこんなにすいているのは、オープン当初の朝9時ぐらいです。

黒門市場で忘年会

黒門市場

中小企業診断士の集まりであるファイティング・コンサルタンツの忘年会。

毎年、黒門市場の鮨屋さんで昼間からやっております。今日も13時スタートで、ウダウダと17時頃まで飲んでおりました。特にブリシャブがおいしかった!最後の締めは玉赤(ギョクアカ)ですね。玉赤というのは半熟卵入りの赤だしで、どうも関西のお鮨屋さんしかなさそうです。

黒門市場といえばインバウンドで有名ですが、まだ年末になっていないのに、なかなかの賑わいです。通りを歩いていると聞こえてくるのは中国語ばかり。お店の方もインバウンド対応しており、肉屋さんや魚屋さんは店頭で焼いて、そのまま食べられる形で提供。中国語や英語表記は当たり前で、なかには韓国語で呼び込みしている焼肉屋さんもありました。

トロのお寿司が2000円で売られていたりして、なかなかおいしそうです。忘年会をやっていた、お鮨屋さんでも何組もお客さんが来ていましたが、ほとんどが中国人の集団。なんせ4時間も飲んでいるので他の席は3回転ほどしています(笑)もちろんメニューは簡体字表記のものがありました。