月別アーカイブ: 2017年10月

昔の地形を道が覚えていた津堂山城古墳

津堂山城古墳

近鉄・藤井寺駅の北で大和川近くにあるのが津堂城山古墳。城山という名前がついているように室町時代は三好氏が城として使っていました。近辺にある恵我ノ荘駅近くの大塚山古墳も城として使われていました。

本当の継体天皇陵といわれている高槻の今城塚古墳も堀と思われるような窪みなどがあり城跡と考えられていましたが、発掘調査の結果、伏見大地震によって墳丘が地すべりによる崩壊で城ではなかったことが判明しています。

津堂城山古墳は前方後円墳として認識されていましたが、考古学者の末永雅雄氏(橿原考古学研究所初代所長)が戦後、空から古墳を観察する新しい研究方法を考案します。航空写真をよく見ると道路が変な風に曲がっていることが判明。外側にも濠があったようで発掘してみると濠跡を発見。結局、二重の濠をもつ巨大な前方後円墳だったことが判明します。古市古墳群では応神天皇陵の次に大きいことが分かりました。

住宅地が外濠にあわせて建てられ昔の地形を道や住宅が覚えており、今もその痕跡をGoogleマップで見ることができます。

浜田城の冠木門

浜田城の冠木門

近鉄四日市駅のすぐ横にあるのが浜田城跡。

県内では一番大きな町である四日市。都会のど真ん中に城跡が残っているのは奇跡的ですね。主郭跡には鵜森神社が建っており、周囲を土塁が巡っています。昨日、リーディング産業展へ行くついでに久しぶりに浜田城へ寄ると冠木門が復元されていました。

浜田城は北勢地域を納める赤堀三家(赤堀氏・浜田氏・羽津氏)の城です。藤原氏の系統で先祖には百足退治で有名な藤原秀郷がいます。本貫は上野国赤堀郷で、四日市へ移ってから三家に分かれました。この赤堀氏が三滝川の南側の辻で毎月4が付く日に市場を開いたことから四日市の地名となります。

赤堀氏は織田信長の伊勢攻めで滝川一益軍に破れ天正3年(1775年)に赤堀城と浜田城が落城します。浜田氏の跡取りは逃げて、後に織田信雄に従いますが、小牧長久手の合戦で戦死してしまい、ここで断絶します。一時期、滝川一益の娘婿で木造氏だった滝川勝利が浜田城の城主を勤めていましたが、小牧長久手の合戦の後、廃城となりました。

 

二上山城(雌岳)

二上山城(雌岳)

太子町巡りの最終目的地が二上山の山頂にある二条山城。

岩屋から二上山城の雌岳を目指します。二上山には二つの頂上があり、高い方が雄岳で低い方が雌岳、山城巡りに行くのはいいのですが山道をひたすら登らないといけないのが、しんどいですなあ。二上山城は大和と河内の両方を見渡せる絶好の場所で、写真は雌岳から見た大和三山。

二上山に城郭を築いたのは楠木正成で楠木氏河内国七城の一つと言われていますが、どうですかねえ。河内国守護だった畠山氏が古市に作った高屋城(平丘城)の支城として二上山城を作ったのでしょう。雄岳の城郭が大きく、雌岳は二上山城のさらに支城、出城のような感じですが竹内街道を監視することができます。近くに信貴山城があり、一緒に運用されていました。木沢長政が改修した時代の遺構が残っていますが、木沢長政が三好長慶軍に討ち取られた太平寺の戦いで二上山城も落城した模様です。

雌岳の遺構ですが頂上の郭や帯郭跡が3つほど残っています。雄岳も登ろうとしましたが、さすがに力尽きて山道を降りてきました。リベンジしなくっちゃあ!

岩屋

岩屋

太子町のすぐ東にあるのが大和と河内の境にある二上山。”にじょうざん”とも読みますが、昔は”ふたかみやま”と呼んでいました。二上山は雄岳と雌岳の2つの山頂からなっており、駱駝のコブのような形になっています。

大和の東側、大神神社の近くにある檜原神社(元伊勢)から見ると春分と秋分の日に夕日がこのコブの間に沈むのを見ることができます。二上山には非業の死を遂げた大津皇子の墓があることでも有名です。

二上山の南を通るのが竹内街道で日本最古の官道です。推古天皇の時代に隋からの使節団を迎え入れるために整備されたと考えられていて、オリンピックで道路を作るのと同じですね。現在は国道166号が走っていて飛鳥時代からの道が今も使われています。ただ車が多く、あまり情緒を感じられません。そんな時は竹内峠ではなく、少し北の岩屋峠にハイキングコースがあり、こちらがおすすめ。ここには奈良時代に作られた大陸風の石窟寺院「岩屋」があり、国の史跡に指定されています。

厚生年金保険料が上がる

給与明細

今日は給料日。もっとも自分で自分に給与を支払いますので、なんの感激もありません(笑)。

今月の給与明細を見ると厚生年金保険料のところが少しあがっています。デフレ時は保険料を下げると決めたマクロ経済スライドが導入されたのが平成16年の年金制度改正です。この時、平成16年10月の13.934%から毎年0.354%引き上げることが決まりました。最終的に18.3%となり、これが上限となります。この9月が最後の引き上げで18.3%で固定されることになります。サラリーマンの場合、半額は会社負担(労使折半)ですので、9.15%となります。

ということで新しい厚生年金保険料を計算して控除し、自分の銀行口座に振り込みました。来月もしっかり働けよ(笑)!

和を以て貴しとなす

和を以て貴しとなす

太子町のマンホールをよく見ると「和を以て貴しとなす」と書かれています。ご存知、十七条憲法の第一条です。今回の選挙の争点に憲法改正が話題にあがっていました。

十七条憲法は「篤く三宝を敬へ」など、法律というより役人の心構えが中心に書かれています。当時は他に法律がなかったようですので十七条憲法が最高法規となります。

やがて律(刑法)と令(行政法など律以外)が制定され、律令時代となります。鎌倉時代になると公家は律令にしばられますが、武士用ではなかったので御成敗式目が制定されます。戦国時代の分国法(今川仮名目録など大河ドラマ・井伊直虎に出てきました)も、この御成敗式目が基本となっています。もっとも戦国時代、法はあっても自力救済(権利を侵害された者が、司法手続によらず実力をもって権利回復をはたすこと)の世界でした。ですので映画「七人の侍」が描かれました。あの映画のテーマは自力救済です。

江戸幕府になると武家諸法度、禁中並公家諸法度が制定され、明治となり大日本帝国憲法ができ、昭和の日本国憲法へとつながっていきます。

大阪の試験会場は大阪教育大学

大阪教育大学

台風が接近する雨の中、本日は中小企業診断士・2次試験。試験監督の一部は朝7時に集合とかで、雨の中、大変ですねえ。ちなみに試験監督は中小企業診断士が担当しています。受験校などで教えている場合は担当できません。(泣)

大阪での会場は大阪教育大学です。大学名に大阪という名前がついていますが場所は奈良との県境にある山の上。駅を降りたら登り坂が続きます。山を東側に降りたら奈良県です。最寄駅は大阪教育大学前駅で、難波から行く場合は基本的に普通しか止まりません。準急も止まりますが実質的には各駅停車です。地方から大阪に受験に来ている受験生にはちょっと過酷ですねえ。

大阪教育大学の北側を近鉄大阪線が走り、南側は近鉄南大阪線(阿倍野ー橿原神宮)が走っています。こちらには聖徳太子の墓や小野妹子の墓がある太子町、竹内街道(古代の国道1号線)があります。大阪から奈良へ行くのに生駒山脈と金剛山地が立ちはだかりますので抜けるには、このあたりを走るしかありません。ですので近鉄大阪線と南大阪線がすぐそばを走っています。

大阪中小企業診断士会 秋の交流会

TKP

昨夜は大阪中小企業診断士会の交流会。60名ほどが参加し、なかなか盛況でした。

今回はアイスブレークなどでよく行われる、嘘つき自己紹介とグーグルの入社試験などで採用されているフェルミ推定のワークを行いました。席の配置はITコーディネータのケース研修を彷彿させます。

場所はTKP堺筋本町で、懇親会の料理もおいしかったですね。ご飯ものなど炭水化物が多かったですが(笑)

消費税の転嫁拒否等に関する調査

公正取引委員会

公正取引員会と中小企業連盟の書類が届きました。中身は「消費税の転嫁拒否等に関する調査」に関する調査票。消費税分が支払われていないとか消費税は支払うが、その分の本体価格などを下げられたなどをチェックする項目があります。チェックした後に具体的内容を記載するところがあり

記載例を見ると
「〇〇株式会社から免税事業者には消費税を支払う必要はないと言われ、取引開始から現在に至るまで消費税分は支払ってもらえていない。」
「△△株式会社の担当者に注文書発行を求めたが、応じてもらえなかった。現在も注文は口頭かメールである。」
と社名などを具体的に書くようになっています。

参考となる資料も添付できますとありますので、消費税に関わらず、買いたたきや書面交付の義務を守らない発注元に頭に来ている企業は、いろいろと書いて送りそうです。下請法を理解していない発注者もいるので従業員教育をしっかりしておかないとリスクをかかえるだけですね。

日出ずる処の天子 小野妹子墓

小野妹子墓

日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなしや

第二回遣隋使で聖徳太子が小野妹子に持参させた国書の冒頭部分。天子という言葉に隋の煬帝が怒ったと伝わっています。ただ当時の国際情勢から倭国と敵対するわけにもいかず、煬帝の家臣である裴世清が小野妹子の帰還に伴って返書を持ち派遣されます。住吉津に着き、大道を通って飛鳥京へ戻りました。

翌年には返書と裴世清の帰国のため、高向玄理、南淵請安、旻らと共に再び隋に派遣されます。ウーン、日本史で習った人物ばかりですねえ。(笑)

なぜか太子町に小野妹子の墓があります。蘇我氏の一族と連なっていたんですかねえ。小野妹子は華道の家元である池坊の始祖にあたり、墓は池坊が管理しています。それはいいのですが、墓は長い階段の上にあり太子町が一望できます。山城には最適な場所なんですが、城の遺構はないですね。