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星ケ崎城(近江)

星ケ崎城(近江)

中山道の鏡宿を見下ろす鏡山の北端の支峰に築かれているのが星ケ崎城。

伝承では室町時代中頃に鏡氏(佐々木源氏)によって築城された山城で、常に暮らしていた館が麓の井上館で、こちらは詰城の模様。承久の変で鏡氏が滅んでからは六角氏が城主となったようです。織田信長が足利義昭の上洛で近江に攻め入った時に、六角氏が十八の支城で侵攻を阻止しようと試みたうちの一つという説もあります。

城はよく整備されていて主郭には石垣が残っていました山城に石垣があるのは珍しく、六角氏の時代のものでしょう。また主郭には「星ケ丘城跡」という石碑や説明版までありました。こんな山城ばっかりだと、どこが主郭跡か藪の中を探し回らなくてすむので楽なんですが。

頂上からは眺めがよく琵琶湖や新幹線が一望できます。近江八幡城などもよく見えます。

今も子孫が住む井上館(鏡城)

井上館(鏡城)

義経元服の地は鏡の宿場町にあり、領有していたのは近江源氏佐々木氏の一族である鏡氏です。

鏡の宿にあるのが井上館(鏡城)で、井上氏は鏡氏の支流にあたり、現在も城内に子孫の方が住んでいます。犬山城の成瀬家のようなものですね。近くに星ケ崎城があり、詰城が星ケ崎城で、こちらが日頃の屋敷跡だったのでしょう。

個人宅なので周りから眺めましたが、大きな単郭になっていて、高さ3~6mほどの分厚い土塁が周囲を巡っています。土塁の前には水堀と空堀があり、防御は完璧。門があった虎口の遺構もよく残っています。井上館の入口の立て札には鎌倉期と書かれていて、当時の武家屋敷(単郭の城)が残る貴重な遺構です。

平家終焉の地

平家終焉の地

平清盛の三男が平宗盛です。

長男の重盛は清盛よりも先に病死し、次男の基盛は24歳で早世したため、三男の平宗盛が平氏の棟梁となりました。源氏との戦いとなり一の谷の合戦、屋島の合戦と戦いましたが敗退することになります。最終決戦となった壇ノ浦の戦いでは海に飛び込みましたが引き上げられて、義経によって鎌倉へ連行されます。鎌倉から京都へ戻る途中、義経が元服した場所のすぐ近くの大篠原で義経の命により切られました。ここが平家終焉の地となっています。

清盛の四男である知盛は壇ノ浦で「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と碇と共に海に沈んだと言われます。五男の平重衡は一の谷合戦で敗れたあと、鎌倉に護送されましたが、大仏や興福寺などを燃やされた南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首されました。平宗盛が切られたのと同時期でした。

■源平交代説
平家を倒した源氏でしたが、やがて北条家(平家)の支配となり、鎌倉幕府が続きます。この鎌倉幕府を滅ぼしたのが足利(源氏)で、ここから平家、源氏の源平交代説が出てきます。

ですので足利義昭を追放した信長は平家を名乗っています。秀吉は農民出身が周知の事実で系図書きかえができないため、源平藤橘という四姓に豊臣という別の姓を創出します。これは天才的なやり方ですね。家康となると、また源平交代説となり、松平家を得川家(徳川家)という新田系源氏に結び付けることとなります。

セミナー講師のための話力、声力の魅力アップ

福島 英

昨夜は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西4月セミナー。東京からブレスヴォイストレーニング研究所所長・福島英氏を招いて、「セミナー講師のための話力、声力の魅力アップ」というタイトルでセミナーをしていただきました。

海外はパブリック、家庭の区別なく声の大きさなどは一定で、日本だけが区分けする環境になっています。元気にしゃべっていた帰国子女が日本人だらけの環境になると、だんだんと声のトーンが変わっていくそうです。電車に乗っている海外旅行者がワーワーしゃべっているのは、そんな環境じゃないからなんですね。

声を鍛えるには、しゃべる練習より城達也のジェット・ストリームなど模範とするナレーションを聞く方が効果があるそうです。声優、落語、俳優、オペラ歌手などの声の違いやヴォイストレーニングなどを学びました。

義経 元服の地

鏡神社

滋賀県竜王町に鏡という土地があります。東山道(中山道)の宿場があったところでした。今は幹線道路で車やトラックが行きかう所となりました。

源義経が奥州の金売り吉次の手引きで鞍馬を抜け出し奥州平泉を目指します。鏡では白木屋という長者「沢弥傳(さわやでん)」の屋敷に泊まっていた所に知らせが届き、稚児姿(寺院で召し使われた少年の姿)の牛若丸を探していることが分かります。

そこで偽装するために急ぎ元服することにしました。源氏の左折れの烏帽子を作り、前髪を落とし元結(もとゆい)の侍姿となります。この時の場所が源義経の元服池として鏡神社の近くにあります。この時から源九郎義経と名乗ることになります。

源氏の再興と武運長久を祈願したのが鏡神社となります。願いがかなったパワースポットですなあ。

前田城(安濃)

前田城

安濃城塞群の一つである前田城

南へ張り出した小山に築かれています。基本は単郭ですが、土塁が巡り虎口もありました。

城主は前田将監と伝わっていますが詳しいことはよく分かっていません。前田氏は長野氏の一族である草生氏の旗本だったようで、近くには草生城があります。藤堂藩の時代には庄屋となり藩主が鷹狩りをする時の休憩所として使われたとも伝わっています。

安濃には伽耶出身の大市氏と縁がある大市神社があり、また村主(すぐり)という地名も残っています。村主は古代の姓(かばね)の一つで、応神天皇の時代に阿知使主とともに日本に帰化した漢人が祖となります。安濃はもともと渡来人と関係が土地だったんですね。

2つある大市神社

大市神社

実家のすぐ近くにあるのが津市岩田の大市神社。小さな頃はお神輿を担いだ思い出もあります。

岩田の大市神社のずっと西側にある安濃にも大市神社があります。岩田の大市神社は郷社ですが安濃の大市神社は式内社になっています。昔、安濃の大市神社にあった大松が洪水で流れ、下流の岩田川で拾い上げられたことから、この松が縁で岩田の大市神社ができたという話があります。神社が流れて松に引っかかったという話もあります。岩田の大市神社は江戸時代の古地図にも載っていて、現在と同じ場所に川松社という名前でありました。川で拾った松という意味ですかねえ。

大市神社の主祭神はオオイチヒメノミコト(大市比売命)ですが、この大市という名前はもともと大和朝廷発祥の地である巻向にあったようです。伽耶出身の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)で敦賀(つるが)の語源となった人がいます。日本書紀や古事記にも登場する、超有名人物です。このツヌガアラシトの後継が「新撰姓氏録」に載っていて、大市首が後継です。ですので大市氏は本来、巻向あたりにいたようですが、この大市氏の一部かどうか分かりませんが、なんで安濃に来たのかは分かりません。

金ケ原城(菰野)

金ケ原城(菰野)

菰野にある千草城近くの高台に千草神社があり、ここが金ケ原城跡。

けっこう大きな神社の周りを土塁が巡っています。近鉄四日市駅のすぐ近くにある浜田城のような雰囲気ですが、敷地はかなり広いですね。南側は土塁の向こう側が窪地になっていて空堀らしきものがありました。

金ケ原城に関する歴史は伝わっていませんが千草城の出城ではないかと言われています。城のすぐ近くを小川が流れており、ここから急な丘になっていますので、この小川が北側の堀替わりだったのでしょう。

事務職が半分になる!? RPAの波がすぐそこに

「AIによって仕事がなくなる」と言われていますが、ホワイトカラーにとってはAIよりもRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の略)の影響の方が大きく、これから単純作業が目の前から消えていきます。

ロボティックとはロボットのことで、ロボットと言ってもハードのロボットではなくソフトウェアのロボットのことを指し、事務用ロボとも呼ばれています。

All About「企業のIT活用」最新ガイド記事です。

→ 事務職が半分になる!? RPAの波がすぐそこに

LEC 経営情報システム

LEC

日曜日にずっと梅田LECで経営情報システムの講座を担当していましたが、本日ですべて終了。終わった!終わった!

経営情報システムといえばSCM、CSR、ERP、MIS、ARP、TCP、UDPなどなど3文字のオンパレード!

「先生、これ全部覚えないといけないんですか?」
「試験に出るので大変ですけど覚えてくださいね。」

毎年の風物詩ですねえ。

さて梅田界隈はインバウンドの影響もあり中国語、ハングル、タイ語、インドネシア語が飛び交っております。最近、道を聞かれるのは外国人ばかり(笑)。

今日、谷町線に乗ると東欧系シニアの一団が乗っておりました。どうもロシア語でもなさそうで、何語なのかなあ。早く、手軽な同時翻訳機が出ないかなあ。そういえば、昨日はITC維新会でAIスピーカー「アレクサ」のデモを見せてもらいましたが、まだまだですねえ。