月別アーカイブ: 2018年6月

稗田環濠

稗田環濠

稗田環濠

大和郡山市にある稗田環濠。広い水堀が村を取り囲んで残っています。現在は5mほどですが往時の水堀は10m以上はあったそうで、西南には大規模な横矢がかかる張出がありました。平城京の羅城門から延びる下ツ道が西の境を通っています。

稗田荘は仁和寺、興福寺領で古市氏(奈良市古市町が本貫)が支配しており、古市氏は筒井氏と覇権を争っていましたので稗田環濠が筒井氏に焼き討ちされたという記録が残っています。また筒井氏の大和郡山城を攻める時、松永久秀側の付城にもなっていました。松永久秀の甥とか嫡男と言われている松永金吾が布陣していたようです。ちなみにiモードを開発した松永真理さんは松永氏の子孫となります。

IT補助金活用セミナー

桑名商工会議所

桑名商工会議所でIT補助金活用セミナー。

まもなくIT補助金の第2期公募がはじまるので、その話なんですが補助金の話だけをしても仕方ないので、前段は「仕事」と「作業」を切り分ける話でした。なるべく「作業」をIT化などで置換えることで効率化する必要があります。宿泊業での事例やAirレジやクラウド会計freeを活用したちょっとした効率化のやり方についてお話してきました。

稗田阿礼

賣太神社

大和郡山の近くに稗田(ひえだ)という集落があります。稗田と聞けば出てくるのは稗田阿礼です。記憶力がすごい人物で帝紀、旧辞を暗記し、太安万侶が稗田阿礼のしゃべる内容をまとめたのが古事記と言われています。

古事記は神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事を記した書物です。江戸時代となり松阪在住の本居宣長が35歳頃から35年をかけて書いたのが「古事記伝」。古事記の注釈書で全44巻でした。

太安万侶については1979年に奈良市の茶畑から墓誌が発見され墓が特定され考古学上の大発見となりました。問題は稗田阿礼で、古事記の序文以外には、まったく登場しません。なかには実在を疑う声もあります。稗田氏はアメノウズメを始祖とする猿女君と同族と言われていることから女性説もあります。

写真は稗田阿礼が主祭神の賣太神社(めたじんじゃ)。

地震で電車がとまる

近鉄東大阪線の新石切駅へ向かうと、案の定、地震で止まっていました。そのまま自転車で谷町四丁目を目指します。

途中、地下鉄の入口近くのコンビニは大勢のビジネスマンがひたすら復旧を待っていました。

1時間半ほど自転車に乗ってマイドーム大阪へたどりついたらエレベータが全部止まっている!大阪府よろず支援拠点は7階にありますが1~3階はホールなので実質、10階分ほどの階段があります。最後にとんでもない難関が待ち構えていました。

息も絶え絶えで大阪府よろず支援拠点にたどり着くと、同じように自転車でたどりついたコーディネータがおりました。というわけで大阪府よろず支援拠点は平常対応しており、朝から相談をこなしています。

いい会社にしよう

いい会社にしよう

泉北高速鉄道・深井駅のすぐ近くにある株式会社ユニバーサルCEへ。

以前は地下鉄・御堂筋線で「なかもず」へ出て泉北高速鉄道に乗り換えできましたが、みんな乗り換えるので、頭にきた南海電車が泉北高速鉄道からそのまま難波へ出るようにダイヤを変更。各駅停車以外は中百舌鳥駅を通過するようになりました。ということで天下茶屋駅から深井駅へ向かうことに、まあ御堂筋線よりかは早いです。

ユニバーサルCE(略称ユニバ)の会議室に入ると「いい会社にしよう」というスローガンがかかっていて、”今はいい会社じゃないからね”と皆に突っ込まれていました。この会議室でファイング・コンサルタンツ研究会という中小企業診断士の研究会です。

昨日は珍しくまともな話をしてから”餃子の王将”で打ち上げ予定でしたが、”脂っこいものはダメ”とドクターストップがかかっているメンバーがいるため、各駅停車で中百舌鳥駅へ出て、以前によく行っていた”じょうもん”で久しぶりに宴会でした。

若槻環濠(大和)

若槻環濠(大和)

大和の番条環濠から少し北東に行ったところにあるのが若槻環濠。だんだんと村が集約し文正元年(1466年)以前には東西に長い環濠集落となりました。古文書がよく残っていて環濠の歴史が分かる珍しい事例になっています。

この辺りには土豪若槻氏がおり、郷土記には若槻平城と出ていますので土豪の城だったようです。堀はだいぶ狭くなりましたが集落の周りを今も取り巻いています。環濠集落の西端にある天満宮には土塁が残っていました。

パンダくろしお

パンダくろしお

シャンシャンが1歳になった。見学整理券がいらなくなったとパンダ一匹に東京では騒いでいますが、関西人に言わせれば、”そんなん白浜のアドベンチャーワールドに行けば、いつでも5頭のパンダが出迎えてくれまっせえ!”です。

先日、湯浅駅から大阪へ戻る時、特急くろしおに乗ろうと思ったら、御坊方面から来る車両がとっても変な図柄になっていました。先頭車のライト部分などが黒くなっていて遠くから見るとパンダ!”パンダくろしお”でした。ホームページを見ると”運転される時刻は日により異なり、また運転のない日もあります”とあるので、かなりラッキーです。車両に入ると座席ヘッドカバーが全部、パンダでした。

湯浅姓のふるさと

湯浅ふるさと会

斎藤さんの故郷である斎宮には何もありませんが、湯浅さんの故郷である湯浅には湯浅ふるさと会がありました。

藤原氏だった武将だった宗重が湯浅を支配するようになり、ここを本貫とし湯浅宗重と名乗ります。平清盛が熊野詣している最中に起きたクーデター(保元の乱)に際し、平清盛を助け共に上洛した武将として有名です。それ以降、平家側で戦いましたが最後は源頼朝に降伏し所領を安堵され、鎌倉御家人となります。この武士団が湯浅党となります。紆余曲折があり南北朝時代には全国にバラバラになったようです。

湯浅ふるさと会では年1回、全国から湯浅さんが集まるイベントを開催します。そういえば以前、湯浅城へ登った時に全国の湯浅さんが登っているという話を聞きました。

畠山館(広川町)

養源寺堀

応仁の乱の原因の一つになったのが畠山政長と従兄の畠山義就との家督争い。畠山家は室町幕府の管領で河内・紀伊・越中・山城の守護でした。畠山政長の居館「畠山館」があった場所が広川町の養源寺になっています。守護館で一角に養源寺堀が残っていて石垣は畠山時代のものだそうです。

江戸時代になると紀州藩主徳川頼宣がこの地に藩主別邸「広御殿」を作ちました。今日、ジュンク堂へ行ったら「和歌山の近世城郭と台場(戎光祥出版)」が出ていて、図説 日本の城郭シリーズの8番目で、このシリーズまで手を出すと大変なので立ち読みです。この広御殿もバッチリ載っていました。

白樫城(湯浅)

白樫城(湯浅)

湯浅の山城といえば湯浅城。

ほかにも広城がありますが、さすがにこの時期、本格的な山城に登るのは無理です。ほかにないか探してみると白樫城がありました。しかも湯浅駅のすぐ裏。というわけで湯浅へ行ったついでに登ってきました。

場所は満願寺です。現在の境内に白樫氏の館があったようで、裏山に詰城がありました。現在は墓地になっていて上まであがると湯浅の街が見渡せます。墓地のさらに奥に城跡がありそうなんですが、藪だらけでさすがに断念。

白樫城は、紀伊国守護職であった畠山氏に仕えていた白樫五兵衛実房が1522年に築城したようです。しかし1585年の秀吉による紀州征伐により落城しました。