至れり尽くせりの佐和山城

佐和山城

山城へ行くには事前準備が大変です。地図はもちろんのこと、城へ登る目印について記載された文章はないかを探します。直登しかないと書いてあると山道はあきらめるしかないですね。もちろん縄張図(曲輪や堀切の位置などを書いた地図)は必須です。

彦根にある佐和山城へ行ってきました。彦根駅からずっと登城口まで案内板があり、迷うことはありません。しかも登城口にはガイドがいて、山城マップを無料で配布しています。マップには縄張り図が写真入りで紹介され、いやあ至れり尽くせりの山城ですねえ。また山城で他の人に会うことはまずないのですが、さすがに佐和城!たくさんの人が登っていました。

■佐和山城
佐和山城は石田三成の城として有名ですが、もともとは浅井の方である磯野員昌の城で、信長が支配するようになってからは丹羽長秀が永らく城主を勤めていました。やがて石田三成が城主となり、失脚してからは佐和山城で家康との戦いを構想。上杉攻めの途中に佐和山城に立ち寄った大谷吉継を説得し関ヶ原の戦いを起こした話は有名です。

当時の落書には「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」とうたわれました。嶋左近は平群の出身で、近鉄生駒線の竜田川駅近くにある西宮城と山城である椿井城が嶋氏の城になっています。

関ヶ原の戦いで石田三成が敗れた後、井伊直政が佐和山城に入りました。来年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の井伊直虎が育てたのが徳川四天王と言われた井伊直政です。新たに彦根城を築き佐和山城から移りますが、島津の敵中突破を阻止しようとして受けた傷がもとで亡くなってしまいます。

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