御城番屋敷(松坂)

御城番屋敷

松坂城に建物は残っていませんが、搦手には御城番屋敷が江戸時代のまま残っていて、現在も人が住んでいます。松坂城は蒲生氏郷が築きましたが、最終的には紀州藩が支配していました。ここを舞台に起きたのが紀州藩田辺詰与力騒動です。

■辞職して浪人に
発端は徳川頼宣が紀州に赴任した時、徳川家康に仕えた横須賀党という武士団が徳川頼宣につけられて紀伊に赴任しました。赴任場所は紀伊田辺で、田辺詰与力となり田辺城主である安藤家から扶持をもらうことになります。

横須賀党の面々は出向扱いで、紀州藩直属の直臣だと思っていましたが、扶持を出している安藤家は自らの家臣と思っています。これが200年にわたる諍いとなります。幕末に安藤家がいよいよ締め付けしてきたので、与力衆20名は集団で辞職し、浪人してしまいます。

■明治維新ですべてチャラ
一橋慶喜を巻き込むなど、紀州藩への復帰運動を行い、6年かかりましたが紀州藩直臣となり松坂の御城番になることができました。そして住んだのが新しく建てられた御城番屋敷です。職場復帰できたので、これで万々歳なんですが、しばらくして起きたのが明治維新。今度は士族全体が失職になってしまいました。士族授産で得た資産を元手に合資会社苗秀社を作り、明治の荒波を乗り切っていきます。現在も苗秀社は存続しています。

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