比定地として間違いがない用明天皇陵

用明天皇陵

先日、山城へ行くついでに太子町へ寄ってきました。太子町は日本の王家の谷とも呼ばれ蘇我に縁がある古墳が集まっているところです。

写真は用明天皇陵。用明天皇は第31代天皇で聖徳太子のお父さんとして有名です。用明天皇自身のお父さんは仏教伝来で有名な欽明天皇。日本史で習いましたね。お母さんは蘇我稲目の娘・堅塩媛です。都は天香具山近くの磐余池辺雙槻宮でした。

用明天皇となり在位2年足らずで崩御してしまい、後継者争いから物部守屋の排仏派と蘇我馬子・聖徳太子の崇仏派が争うことになります。最終決戦は現在の八尾市で行われ、大聖勝軍寺に物部守屋の墓があります。単純に仏教受入だけでなく半島情勢を元にした外交や国家運営に対する考え方の違いも影響していました。

天皇陵といえば前方後円墳が基本でしたが、初めて方墳になったのが用明天皇陵です。また宮内庁が天皇陵を定めていますが、考古学の知識がない江戸時代の比定を元にしているため、とんでもないことになっています。そのなかでも、比定通り用明天皇陵で間違いないだろうという稀有な例になっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です