和田賢秀の墓(四条畷)

和田賢秀の墓(四条畷)

大阪府よろず支援拠点の仕事で四条畷商工会へ。途中にあるのが和田賢秀の墓です。

和田賢秀は楠木正季の息子です。楠木正季は楠木正成の弟で、湊川の戦で兄である正成と共に討死しました。楠木兄弟が戦死した後、一門の棟梁となったのが楠木正行です。楠木正成・正行父子が訣別する桜井の別れで有名です。

そういえば高校の歴史教科書から、武田信玄、上杉謙信、坂本龍馬と共に楠木正成の名前もなくなるんですね。

和田賢秀は従兄弟の楠木正行と共に四條畷の戦いに出陣し、討死します。伝説によると、討死の際に敵将の首に噛み付き睨んで放さず、敵はそれが原因で死んだと言われています。

■楠木一族なのに、なぜ名前が和田?
もともとは饒速日命の後裔で、物部氏や穂積氏とは同祖となります。河内国の和田正遠が楠木氏の家系を継承したことから楠木正成一族は楠木の名前を使います。

ただ他の一族は和田を称しており、和田賢秀の兄である和田高家は岸和田古城を築きます。岸と呼ばれた土地の和田からダンジリで有名な岸和田という地名になります。

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