新村猛と広辞苑

今朝、日経新聞朝刊の文化欄に載っていたのが広辞苑の父である新村出。”にいむら”ではなく”しんむら”と読みます。昭和10年に出た辞苑の改訂作業を続け、太平洋戦争で中断もありましたが校正刷りが戦火を生き残り、昭和30年に広辞苑が出ました。これが大ヒットします。

新村出ともに次男でフランス文学者の新村猛が辞書編纂を手伝います。太平洋戦争が終わった後、世界市民の育成をめざしできたのが京都人文学園。この初代園長が新村猛です。主に京都大学の講師陣が教育に関わり、羽仁五郎の自由学園の影響もあって、生徒自治、無試験、無規則、無処罰と革新的な教育をしていました。この京都人文学がめぐりめぐって関西文理学園となります。

昔、関西文理学園が運営する専門学校で働いた時期があり、本部に京都人文学園の設立趣意書などが残っていました。新村猛の名前を見た時には、”エッー、あの広辞苑の新村猛!”と驚いたものです。

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